2011年4月、殿町に古書店『徒然舎』がオープンした。深谷由布さんは、それまで同じ屋号でオンライン古書店を運営し、各地の一箱古本市やイベントに出店していたが、初めてのリアル店舗を構える。自分の場を立ち上げたのだ。
女性がひとり、8坪ほどの小さなお店を開店、という「要素」から、当初は取材の依頼も多かった。
「若い女性がはじめたセレクトショップ、というイメージで記事にされることが多かったです。店の宣伝にはなったんですが、こちらが意図していない反響もあったりしました」
取材を受けて、爆発的にお客さんが押しかけるということはなかったが、お店の存在はじわじわと知られていくようになった。その一方で、本を買うというよりは、ただ話したい、もしくは若い女性を教え諭したいがために店に入ってくる冷やかしの人なども少なくなかった。店主にとっては決して愉快なことではない。
「ひとりで店をやる、ということは、性別に関係なく平等に勝負できるということだと思っていたんですが、いざ始めてみると、女性店主だからこそなのかな、というあまり嬉しくない体験もしました。どうしたら無くせるだろうと考えていくなかで思ったんです。店が繁盛すればいいんだって。常にお客さんがいて、忙しいお店になれば、そういう人は来なくなるはず、と考えを切り替えて今に至ります」
深谷さんは、店を開く前、2010年に岐阜県の古書組合に入っている。組合に入ると、古本の市場(交換会)に参加して、本を入札・落札することができる。お客さんからの買い取りだけでなく、より幅広いジャンルの本を店に並べられるのだ。
「組合に入って1年くらいは、とにかく本のことがわからないし、男性ばかりの独特な雰囲気にもなじめず、市場に行っても入札さえせずに帰ってくるだけでした。でも店を始めるとなると、ちゃんと本を揃えたい。それで組合の運営グループに入ったら知り合いも増えて、市場に居場所ができてきたんです。開店して1年、2012年くらいになって、ようやく店に本が揃ってきたかな、という感じでした」
古書組合に入ったことで、同業の知り合いができて、本の売り買いも増えてきた。だが儲けは少なく、店の家賃や光熱費を払うと自分の給料は出ないくらいだ。
「実際のところ夫の稼ぎで暮らしている、古本一本でやってますって言い切れない、ということへのもどかしさ、情けない思いが、自分のなかにありました。市場には通っていても、古本屋の仲間に入りきれていない自分、というか。人生の考え方は人それぞれで、その暮らしを続けていくという選択肢もあったのだと思います。でもやっぱり自分は、古本の仕事で食べていけるようになりたい、この世界でしっかりと生きていきたいと思ったんです」
新しい世界で試行錯誤を続けるなかで、徐々に価値観のズレが大きくなっていき、熟考の末、2013年に離婚。ほんとうに自分ひとりでやっていけるのか、不安な思いが尽きず、一時は店を臨時休業した。だが、退路を断ったことで気持ちが入れ替わる。
「古本屋としてやっていくぞ、と。市場にも頻繁に通うようになりました。精一杯がんばって本を買ったり売ったりして。わたしがヨタヨタ本を運んでいると、古本屋さんが手伝ってくれたり。そういう“古本屋やってるな!”っていうのが、すごく楽しい。まだ食べていけてはいないけど、とにかくがんばっていこうって思えました。2013年のあたりは必死だったので、あまり記憶がないんです」
一方で、市場に行けば行くほど、自分の領分も見えてきた。
「市場には、インターネット販売専門の古本屋をやっている男の人が多いんですが、彼らは大きな車でやって来て、大量に本を買って帰るんです。その働きぶりを見ていたら、とてもわたしにはできないな、と思いました。対抗できるものはなんだろう、と考えたときに、彼らは店売りをやっていない。じゃあわたしは、店でがんばってみようと。同じ土俵で戦うのは無理だから、そうじゃないところで挑戦しようと思ったんです」
かつて、勤めていた会社の上司に「古本を売ります」と言って以来、大小さまざな波が打ち寄せる。店を開いてからも波は静まる気配がなく、そのたびに深谷さんは、ひとり覚悟を決めてきた。その積み重ねで今があるのだろう。
扱う本の量が増え、殿町の店舗を手狭に感じ始めてきたころ、縁があって、美殿町商店街の現店舗に移転する。2014年10月のことだ。そのすこし前、こちらも縁があって、名古屋の古書店、太閤堂書店の2代目である藤田真人さんと出会い、共に『徒然舎』を営んでいくことになる。