「七月堂」は、詩集を出版する会社だ。後藤聖子さんにとっては、その「七月堂」が家業なわけだが、幼いときから詩に親しんできたのだろうか。
「家にあるから詩を読むことはありました。でもまったくわからない。まず、父=詩なんですね。父の態度や暴力、暴言を受け入れられない、許せない、という怒りのモチベーションで生き抜いた幼少時代なので、素直に詩を読もうという気持ちにはなれませんでした」
その一方で、詩以外の本はよく読んだ。家の近所に小さな古本屋さんがあり、100円で文庫が買えたのでよく通っていたという。本は日常でもあった。
「小学生のときは『ナルニア国物語』とか、星新一さん、赤川次郎さんなどを読み始めました。今でも大好きな『星の王子さま』とか。本が好きという自覚もないまま、当たり前に家に本があって、それらは母が買ってくれていました。漫画も、萩尾望都さん、魔夜峰央さんの『ラシャーヌ』、『009』、このあたりは家に揃っていて、くり返し読んでいました」
「小学生のときは、そつなく生きていました」と後藤さんは笑う。成績が良かったのは、国語と音楽だ。
「小学校の教科書に詩が載ってますよね。詩そのものを理解できていないのに、授業のなかで先生が何を正解とするかということは理解していて、それで成績が良かったんだと思います。もうほんと、こざかしいというか、ダメなやつです。読書感想文も、自分がどう思ったかよりも、ここをくみとって感動すればいいんでしょっていう流れで書く。文章に何が書いてあるのかわからないという感覚はないので、試験はできる。何も理解していなかったんですけどね」
勉強自体が好きじゃなかった、という。
「自分では一生懸命、取り組んでいるつもりなんですよ。でもコツがつかめていないから、やってもやっても虚しい結果が出る。勉強する楽しさみたいなものは、小中高一貫してなかったと思います」
小学生のときの習い事は、ピアノ、習字、水泳、学習塾。でも後藤さん自身がほんとうにやりたかったのは、歌とバレエだった。
「家にいるときは、毎日朝から晩まで歌っているような子どもだったんです。でも小学1年生でピアノを習わされて。やりたくない。ふだん何の主張もしない子でしたけど、これはさすがに言ったんです、やりたくないって。でも母は聞いてくれない。音楽といえばピアノだと思ったって。それでわたしも根が真面目だから続けたんですよね。もちろんまったく上達しませんでした。唯一よかったのは、楽譜がよめるようになったことですね」
高校に進学すると、バンド活動を始めた。担当はボーカル。
「やっと自分の好きなことができるようになったんですよね。コピーバンドだし、メンバーも寄せ集めで、やりたいっていうだけで集まってるからレベルも低かったです。当時、LINDBERGとか、プリンセスプリンセスが出てきたときで、ほかに周囲のバンド仲間でよくコピーされていたのは、ZIGGY、THE BLUE HEARTS、UNICORN、JUN SKY WALKER(S)。なかでも好きだったのがBAKUというアイドルバンドでした。歌詞が子どもっぽいんですけど、かっこつけずに率直に、人間の生きる喜びと悲しさみたいなものを歌ってて惹かれたんです。BAKUとかLINDBERGのコピーをやってました」
そこからのつながりで、ユニットも組んだ。
「打ち込みができる他校の男の子と知り合って、ユニットを組んでオリジナル曲を作っていました。彼が曲を作って、わたしが歌詞を書く。作った曲をカセットテープに入れて、バンド雑誌にこんな活動をしています、欲しい人はハガキくださいって載せると、買ってくれたりするんですよね」
高校の3年間は、同級生たちとのバンドとユニットで、音楽中心の生活だった。
「あとは、山田詠美さんが好きでした。ほんとうのことが書かれている気がしたんです。本屋さんで見つけて買って、最初は『ベッドタイムアイズ』だったかな。そのあと『風葬の教室』『ぼくは勉強ができない』と、のめり込んでいきました。中学のときはラノベをよく読んでいて、エンタメが中心だったんですけど、山田詠美さんは音楽のような文章を書く人だなと思いました。文学作品を読もうとしても、とっつきにくかったなかで、流れるような言葉選びの文章がすごく読みやすいし、清濁あわせのんだストーリーに惹かれたんです」
当時、梅ヶ丘にあった「本のヒロタ」という新刊書店によく行った。
「小学生のときから通ってました。ひととおりのジャンルが揃っている個人書店で、店のつくりは今でもはっきり覚えています。でも10年くらい前に閉店されたんですね。街から新刊書店がなくなる日があるなんて想像もしていなかったので、ものすんごいショックでした。本を買う目的だけじゃなくて、立ち寄る場所だったんです。日々、とにかく無意識に行く。わたしはお酒が飲めないので、まっすぐ帰りたくない日は本屋に立ち寄る。それがふつうでした。閉店を知った日は信じられなくて、1日中、ありえないってつぶやいていました。どうしても出てきちゃうんです、ありえないって」
高校を卒業すると同時に、後藤さんは「七月堂」に入社する。念願のひとり暮らしが始まった。1994年春のことだ。