第41回 知多半島で生まれ、そこから出て行くまで〜深谷由布さんの話(3)


 
 深谷由布さんが生まれ育ったのは、愛知県東海市。知多半島の付け根部分、伊勢湾に面して工場地帯が続くところだ。
 
「ほんとうに何もないところでした。父と母は高校の同級生で、それぞれの実家は離れてはいますが、ふたりとも知多半島の生まれです。父が仕事人間で忙しかったこともあって、家族でどこかに行ったという思い出があまりないんです」
 
 深谷さんは幼少時、病弱だったこともあって幼稚園にあまりなじめなかった。3歳ごろから文字を読みはじめたが、近隣に書店はなく、電車とバスを乗り継いで市立図書館に行くのが楽しみだった。買いものに連れていかれても、マネキンの足元に座って本を読んで待っているような子どもだったという。
 
「5歳ごろに数ヶ月だけ、知多半島の海沿いの町に引っ越して、図書室が充実した保育園に通うことになったんですね。そこで、自分より年少の子どもたちに紙芝居を読み聞かせていました。壁に沿って、絵本や紙芝居が詰まった2段くらいの棚が並んでいるという、わたしにとっては夢のような部屋があったんです。休み時間は外で遊ぶ子が多いんですけど、本に興味がありそうな小さな子がその部屋に入ってくると呼び止めて、紙芝居を読み聞かせるのが、すごく楽しかったのを覚えています」
 
 東海市の公立小学校に入学するも、あまり良い思い出はない。だが2年生のときに、群馬県渋川市の小学校に転校する。
 
「父の仕事の都合で、家族で引っ越しました。伊香保温泉の麓で、雷と空っ風の町です。東海市はサラリーマンか工場労働者の家の子がほとんどでしたが、こちらは自営業や酪農家の家の子も多かった。お蕎麦屋さんや鰻屋さんのおうちに行ってみたり、家で豚を飼ってるから豚肉は食べられないって泣く子がいたり、人間はいろいろな暮らし方をしてるんだなって思いました。のんびりした田舎の空気が肌に合ったのか、性格がなんだか活発になったんです」
 
 クラスの漫画が上手い子たちを集めて手製の雑誌を作ったり、芥川龍之介の『地獄変』を流行らせたりした。
 
「『地獄変』は、娘が燃えているのを見ている父、というシーンが衝撃的でした。図書委員だったこともあって、すごい怖い小説があるから、みんな読みなよって言って回って流行らせたんです。少年少女向けの日本文学全集のなかの1冊で、ちょっと小さめの判型の、えんじ色のカバーの本で、装丁は地味なんです。でも怖い」
 
 そうした転校先での生活は楽しかったが、6年生の夏休み明けに、再び東海市の小学校に戻ってきた。
 
「戻るのは悲しかったです。東海市の小学校では、どちらかといえば、いじめられっ子でしたし、嫌な思い出しかなかった。でも、戻ってきてみたら嫌なことは嫌だって言えるようになってたんですね。断ることができた。そのことで、キャラが変わったということが相手にも伝わったんだと思います。その後、進学した中学には近隣の小学校3校分の生徒が集まってきたのでリセットできて、自然体で暮らせるようになりました」
 
 中学では吹奏楽部に入ってフルートを担当。3年次には部長になる。学校の近くに大きめの書店があり、帰りによく立ち寄るようになった。
 
「なにより自分で本屋に行って、こづかいで本が買えるようになったことが楽しかったです。図書館にも自転車で行けるようになって、学校帰りにも休みの日にも通うことができる。太宰治、赤川次郎、山村美紗をよく読んでました。山村美紗の『キャサリンシリーズ』と、小松左京の雑学シリーズの文庫を、図書館に行くたびに順番に借りて読んでいましたね。雑学、好きでした。買ってないので手元にはないんですが、今でもときどき店に入荷すると、なつかしいなあって思います」
 
 本を読み、新しいことを知る楽しみがある一方で、本ばっかり読んでて真面目だとか、勉強ばっかりしてるとか、そういうことを言われることは、すごく嫌だった。
 
「真面目だから本を読んでるつもりはないんですけど、真面目だよねーって言われると、疎外感というか、うちらとは違うと言われているような気がしていました。でも負けず嫌いな面があるので、勉強してランクを上げていくことは楽しかったんです」
 
 高校時代は演劇部に入り、オリジナルの脚本を書くなどかなり熱中した。演じるほうではなく、演出や裏方を担当することが楽しかった。部活に熱を上げた結果、勉強はおろそかになったが、3年生からにわかにエンジンをかけていくことになる。
 
「名古屋あるあるな気がするんですが、県外志向があまりないんですよね。進路指導の先生にも、各家庭にも、生徒自身にも。どうしてわざわざ県外に行くの? という感じで。でもわたしは、ぜったいに名古屋を出たかったんです。地元が嫌いというよりは、地元から出たくないという、出なくてもいいという風潮が嫌だった。ただ両親からは、しっかりした大学でなければ外に出さないと言われたので、遅れを取り戻すために必死で勉強しました」
 
 その甲斐あって、受けた大学はすべて合格した。
 そして1994年、現役で同志社大学文学部文化学科国文学専攻に入学する。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。