蓑田沙希さんは、小学校から高校まで札幌で暮らした。
自宅から自転車で行ける距離のところに「らくだや」という古書店があった。中学生になると、ユニコーンを教えてくれた、あやちゃんと一緒に店に行くようになる。通学する学校は別々になったが、関係は変わらなかった。
「店はいまもあるんですが、ここがめちゃくちゃいい店で。古本屋さんの初期体験がここでした。それはもう楽しかったですね。たぶん買取だけでやっていて、ひととおりのものが揃っているんです。いまでも札幌に帰って近くに行くことがあれば、立ち寄っています」
「古本らくだや」のHPによれば、1992年開店とある。今年で創業30年だ。天井までの本棚にみっちり整然と本が詰まっている。値付けは、文庫は50円〜定価まで、単行本は50円〜500円までとあり、ほぼ均一価格といっていい。写真だけ見ても、本を大事に扱っている心躍る空間であることが伝わってくる。
「古本屋さんの初期体験が良かったので、その後もちょっと怖そうなお店でも入ってみたらおもしろいものがあるかもしれないって思えるんですよね。だから古本好きがずっと持続できたんだと思います」
高校生になると、もう一軒、興味を引く店ができた。
「『らくだや』さんの近くに、『プラスチコ』というフリースペースのようなところがありました。靴を脱いで入ると本があって、誰でも来てよくて、人が集まってわいわいしてる。高校生でも入っていいところだったので、こんなことができるんだって思いました。いまでいう住み開きのような、さまざまな人たちが出入りできるところって楽しそうだなって思ったんです」
蓑田さんは当時、具体的に店をやりたいとは思っていなかったが、身近にあった古書店やフリースペースを見て、人が集まるスペースがあったら楽しいかもしれないと、ほのかに思っていた。
一方で、あやちゃんとフリーペーパーをつくり、雑貨店に置いてもらったりしていた。
「内容は、レビューとまではいかないですが、本を読んでどうだったとか、ライブに行ってどの曲がよかったとか、そういうようなことを書いていました。ありがちな話ですが、当時は音楽ライターになりたくて。ものを書く仕事がしたいと思っていました」
高校時代を思い出しながら、「なんかすごく楽しかったですね」と話す。だが高校を卒業した先のことを考える時期でもあった。1999年のことだ。
「札幌と東京を意識し始めるんです。“札幌に残るか、東京に行くか”問題。家族的にも、まわりの友人たちも直面しました。芝居を始めた友人がいて、役者をやってる人は、東京に行く=魂を売ったみたいな、札幌で何かをやることに重点を置いている人が多かった。時期的にも、大泉洋さんたちのTEAM NACS(演劇・音楽ユニット)や、タカアンドトシ(当時はタカ&トシ)が札幌吉本初の芸人として盛り上がっていたりして、札幌でもできるんだっていう流れがあったんですね。もっと前からそういう流れがあったかもしれないんですが、高校生でも感じとるくらいまでになった。札幌でも何かおもしろいことができるかもしれない、でも東京に行ったほうがいいのか、ということを考える時期でした」
今でこそ二拠点で活動するのは珍しくなく、インターネット配信などを活用することで、地域差も小さくなってきている。だが2000年前後は、まだそうした柔軟性が行き渡っていなかっただろう。だからこそ、「札幌に残る」ことも選択肢のひとつとして大きな意味があった。
蓑田さんは考えた末に、札幌を出ることを選ぶ。
「やっぱり高校卒業のタイミングで家を出たいというのはありました。もっとインプットするものがないと自分の限界が見えてしまうというか、刺激を求めていたんだと思います。あとは、あやちゃんが札幌にいるんだったら、わたしはいなくてもいいかもなと思いました」
話の随所に登場する、あやちゃんは、いまも札幌に住んでいて、天然石でアクセサリーをつくる仕事をしている。「あやちゃんが札幌にいるから大丈夫」という心情は、現在でも蓑田さんの奥底にあって自身を支えているように感じる。あやちゃんが札幌に残るから自分も残る、ではなく、それぞれの持ち場で暮らしていく。家族とは違う、大事なよりどころで、生涯にわたって途切れることがないつながりなのだ。
2001年、蓑田さんは一浪して大阪芸術大学文芸学科に入学する。
「現役でも一浪でも早稲田に落ちて……当時、大阪芸大に通っていた友人がいて話を聞くと、おもしろそうだなと思ったんですね。ここだったら学ぶこともあるなと感じて、札幌から東京を飛ばして大阪に住み始めました。大学自体は楽しかったんですけど、学費が払えなくなって除籍になったんです」
大学1年生の末時点で除籍になり、1年分の単位は持っていたので、編入の道を模索した。結果、2003年に法政大学文学部(二部)日本文学科に、二年時編入で入学した。22歳のときだ。