第31回 本を売る仕事に就くまで 〜伊藤幸太さんの話(4)

1990年代前半、伊藤幸太さんは大学へ進学する。学部は法律学科だった。

「当時は何も考えていなかったので、どの学部でもよかったんです。ただ、土屋恵一郎という法学者のゼミ生だったんですが、これはおもしろかった。法哲学がテーマで、自分たちの社会を構成している法律をいろいろな角度から考える学問で、法とは何かを根源的に考えるんですね。ほかの学科の成績は悪かったんですが、そのゼミだけはちゃんと出席したし、成績も良かったです。フランスの結婚制度についての論文を書いたりしました」

大学時代は、ひとりの時間が増えて本を読むようになった。まずはまったのは、村上龍。

「読みやすいですし、当時はやはりスーパースターみたいな位置づけでした。作家としていちばん多く読んだのは、いまだに村上龍かもしれないです。そののちに、カフカ、フランス文学といった、いわゆるクラシックな小説を読むようになりました。
土屋ゼミでは哲学に関心がある学生が集まってくるんですけど、読んでいる本の話になって、村上龍を読んでるって言うと、ふーんって顔をされちゃうわけです。こちらも相手に『わたしはフーコーを読んでます』って言われてもね、はあ……って。当時は現代思想なんてぜんぜんわからなかったので」

大学を卒業すると、公共事業を取材する業界紙をつくる会社に就職した。社会の仕組みを垣間見ることができて勉強にはなったが、仕事にはなんの魅力も感じられなかった。

「お世話になっています、という言葉をほんとうに言いたくなかった。たぶん、働くこと自体が嫌だったんですね。社会の仕組みを何もわかっていなかったし、ちゃんと働いているみんなに比べて自分はこんなにダメなんだ、不適格なんだって思いながら毎日会社に通っていたので、つらかったです。大学時代は居酒屋、コンビニ、編集プロダクションなどいろいろなアルバイトをしましたが、そのときより賃金は低かったから、さらに暗黒の気持ちです。働くって、こんなにおもしろくないことなのかって」

暗黒の日々を3年ほど過ごし、2002年に渡米、ニューヨークのコミュニティカレッジに通った。05年に帰国すると、もっと勉強したいという気持ちから大学院を受ける。

「調子にのって、よりによって某国立大学の大学院を受けたんです。試験は、英語とフランス語と論文、そのあとに面接。準備期間は半年で、当時はすごく集中して勉強できたんですが、まあむちゃくちゃですよね。一次試験は通ったんですが、面接がいけなかった。大学院で研究したいという明確なものを提示できなかったんです。どこかに働きたくないから大学院に行くという“逃げ”がありました。もうひとつ、まわりがみんな働いているのに、30歳を過ぎて大学院で勉強するということの、ある種の圧に耐えられるのかという迷いもあった。落ちてほっとした……というのもありました」

伊藤さんは二度目の就職をするが、労働に対して前向きになることはなく、労働について考えることも嫌気が差し、生きることは我慢することとあきらめた。一方で、小説を書いて応募するなど、読んだり書いたりすることの切実さが増してきた時期でもあったという。
だが2011年、東日本大震災がおきて、伊藤さんの意識は一変する。目標をしっかり立ててやってみることが、人生に一回くらいあってもいいのではないか。

「当日、7階のビルにいたんです。ものすごく揺れて、コピー機がぐわーって動いていく。死ぬって思ったし、のちに原子力発電所が爆発したときは戦慄しましたよね。
これからどうすればいいのかを考えていくうちに、本屋やりたいなって思ったんです。
もしかしたら、本屋をやりたいって思ったのは、このときがはじめてかもしれない。昔からずっと思っていたことではないです。本や言葉に関わる仕事がしたい、自分が関心をもっているところと近いところで仕事をしたいって思ったんです」

ちょうどそのころ一箱古本市の存在を知り、すぐに参加したいと思った。

「自分の本をどうにかしたいというのもありましたが、いざ参加してみたら開放感が心地良くて、本の可能性みたいなものをあらためて感じました。本で何かができるっていうきっかけをくれたと思います。もっといえば、自分で構えてしまいさえすれば、なんでもできるんじゃないかって思ったんですよね」

震災後、伊藤さんは当時働いていた会社のほかに、新刊書店でアルバイトをはじめる。自分の店をやることを前提として、「本を売る」ことの実務を初めて経験することになった。

「1年半くらいやってみて、ほんとうに嫌だったのは返品です。6〜7時間働くとして、そのうちの2時間は段ボールに本を戻している。自分の店に置く新刊は、自分が売りたいものだけ売ろうと思いました。いま新刊は、買い切りと委託が半分ずつくらいですが、返品はこの5年で5回くらいです。これでも多いくらい。売り切りたいです」

忘日舎は古書店ではあるが新刊も置いていて、開店時に比べると、その数は増えてきている。自社の本を店に置いてほしいといってくる小さい版元も多いという。店内中央の平台には、他の店ではあまり見かけないような本が面陳されていたりする。
伊藤さんは、これまでの自分の経歴が、本や本屋と深くリンクしていないことに引け目を感じている面があるという。

「ずっと書店員を続けているのではなく、職業を変えているのは大きいです。でもこの引け目とは何かということを、ほんとうは考えたほうがいいとは思っているんです。引け目に感じなくてもいいかもしれないものに対して、ある種の暗さみたいなものを抱えている」

第29回で、わたしは忘日舎の本の並びが「伊藤さんの意志で、選んで置かれているように見える」と書いた。それは自身の出自や、これまでの体験、逡巡、挫折の末に選ばれた本だ。抱えている引け目すらも、本の並びにあらわれているかもしれない。売れ筋や世間の話題におもねらない、伊藤幸太さん自身の本の数かず。本がもつ潜在的な力は、はかり知れない。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。