第27回 わかろうとしない読書を知る〜本屋さんをめぐる体験(3)

 自粛生活で家にいる時間が増えたが、本を読む気になれなかった。心の奥底がずっとざわついていて、長い文章がまるで頭に入ってこない。本棚を眺めて目についた本を手に取り、紙の手触りを感じ、ページをめくって文字の並びを目で追い、また元の場所に戻す。文字列の意味は頭を素通りしていく。仕事も生活もまったく忙しくないのに気持ちだけは落ち着きがなく、呼吸が浅くなった。
 かろうじて頭に入ってきたのが、詩だった。なにせ短い。文字列がただ素通りしていくこともあったが、作品によっては言葉のほうから手を伸ばしてきて、こちらの心臓をつかんでくるような感覚に襲われた。
 よく手に取ったのは『天野忠詩集』。昨年、池之端の「古書ほうろう」で買ったものだ。上梓された詩集から数篇ずつ抜粋した集大成の一冊で、総ページ数550、函入り上製本。ずしりと重く、詩人の一生をたどることができて味わい深い。生の悲哀や死が漂うなかにも、どこかユーモアを忘れない作品が多く、ふとした風景描写が穏やかで心のざわつきが静まるような気がした。夜、寝る前に適当に開いたページに目を落とし、脳内に情景を描いて深呼吸する。貴重な時間。とくに「途中」(詩集『電車』より)は毎回、読んだ。
 
  きのう私の家の屋根をたたいた雨が
  今日もしずかに電車の窓を濡らしている
 
 この一節がたまらなく好きで、ちいさな声で音読する。そしてちょっと泣きそうになる。
 
 詩に興味を持ち始めたのは、今年になってからだ。それまでは敷居が高く、苦手意識のためか、しっくりくる作品に出会うことも少なく、よくわからないものだった。正直なことを言えば、楽しみ方がわからなかった。考えが変わったきっかけは、読書会に参加したことである。
 西荻窪の古書店「忘日舎」で月に一回開催されている「やわらかくひろげる ハンセン病文学を読む」という詩を読む読書会で、それまで読書会というものに参加したこともなければ、詩にも興味がなかったのに、なぜか勢いで申し込みをした。自分でも理由はよくわからない。
 この読書会は、その場でじっくり読み、語るワークショップ形式で、編集者のアサノタカオさんが主宰。毎回1篇または複数篇の詩を取りあげ、全6回予定、次の10月開催回で最終回となる。ワークショップの意図についてアサノさんは、「その日の気分や直感で本のページをパラパラめくって、1行・1句の気になることばを見つける。そこに自分との関わりを見つけるコツさえつかめば、その本は今日という一日を豊かにしてくれる、あるいは人生という時間を豊かにしてくれる自分だけの一冊になります」と書いていて、とても気持ちが楽になった。「詩集だからこそできる1行・1句式の本の読み方、楽しみ方」を知りたいと思ったのだ。
 
 アサノタカオさんはまず、哲学カフェの話をした。元はフランスのパリで始まった討論会形式で、話すことよりも聞くことに重きをおき、いろいろな職業の人が参加するという。出入り自由、人の話は最後まで聞く、専門用語はできるだけ使わず自分の言葉で語る、という3つの約束があり、この読書会でもこの約束を踏襲することとなった。
 勉強や批評の場ではなく、読んだときの感覚を大切にして自分自身の内側へ向かって「やわらかくひろげる」こと。詩において重要なのは意味ではなく、感覚で味わうことが可能で、そのために「感じる」→「思う」→「考える」という三段階で読んでいくこと。こうした前提で、読書会は始まった。
 
 毎回、課題作品を2回、じっくり読む。1回は目で追い、2回目は指で文字をたどりながら。その後、気になった1行を発表し合う。どうして気になったのか、その1行から感じることなど、他の人の話に耳を傾ける。あるときは1冊の詩集から6篇の作品を読み、それぞれから気になった1行を選んで書き出し、その6行をつなげると、不思議と詩になっている、というユニークな読み方もした。
 これまでに取りあげたのは、塔和子、香山末子、谺雄二の3人。ハンセン病とはどんな病気なのか、これまでの隔離の歴史といったことは読書会では話さず(個人個人で調べるのはもちろん自由)、まっさらな状態で詩と向き合うことで、自分のなかに今までなかった感覚の言葉が根付いていくような気がした。わからない1行はそのままで、気になった1行から、やわらかくひろげていく。日によって受け取め方も違ってくる。自分のことにひきつけて味わっていい。正解はない。幾通りもある詩の楽しみ方を知ることができた。
 
『13(サーティーン) ハンセン病療養所からの言葉』(石井正則/トランスビュー)という本が、今年の3月に刊行された。国立ハンセン病療養所は全国に13あり、俳優の石井正則さんが各地をまわって撮影した療養所の写真と、入所者の方々が綴った詩が1冊にまとめられている。写真と詩はリンクしていて、互いを補い、詩の情景が立ち上がってくる。ハンセン病によって隔離され、家族とも引き離されて会うこともかなわず、一度入所したら二度と出られないといわれ、断種・中絶を強制され……といった差別の歴史のなかで、何かを表現せずにはいられなかった人びとの叫びだ。
 この本はもちろん、忘日舎で購入した。読書会に参加する前だったら読み飛ばしたであろう詩の部分も、一篇一篇をゆっくり読んでいる。わからなくてもいい、と思って読み始めると、不思議とすんなり言葉が入ってくる。
 わかろうとしない、を出発点とする。気になったところから、やわらかくひろげていく。詩に限らず、本の読み方のひとつとして、試していこうと思う。
 
 次回からは、この読書会が開かれていた忘日舎の店主、伊藤幸太さんの話を始める。5年前、開店時に取材したさい、伊藤さんはこの店で「辺境」を表現していきたいと話してくれた。なぜ「辺境」なのか、じっくり回り道をしながら話を聞きたい。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。