2003年3月、小国貴司さんは立教大学を卒業する。
その年の5月からは、旅行ガイドをつくる編集プロダクションで働きはじめるが、10月に父親が亡くなったこともあって退社。翌年2月、新刊書店のリブロに契約社員として入社した。最初の店舗は錦糸町店で、そのときに正社員の募集があり、試験を受け合格、晴れて正社員になった。
「リブロには13年いて、ビジネス書の担当が長かったです。池袋店には2010年に異動になって、2015年7月に閉店する半年前までいました。このときに矢部潤子さんと3年間、一緒に働いて、すごく影響を受けました。そのうちの2年、仕入れの仕事を共にしたのは大きかったと思います」
矢部潤子さんは、30年以上、リブロ(旧パルコブックセンターも含む)で書店員として働いた経歴をもつ。その独自の知恵と工夫を対談形式で記した『本を売る技術』(本の雑誌社)という著書もある。
仕入れの仕事とは、どんなものなのだろうか。
「当時の池袋店は1000坪で、しかも多層階でした。全体で何冊仕入れるのか、どのフロアに何を何冊置くのかを決めるのに、まず出版社と新刊会議というのがあったんですね。専門出版社についてはフロアの担当に任せてしまいますけど、いわゆる総合出版社は毎月一回、今月の新刊を説明に来るんです。仕入れ担当は、この会議に出席して、入荷する部数を指定したり、それをどのフロアにどれだけまくかといったことを決めます。
こうした指定が入らない版元もあるので、それらは取次からの新刊委託の配本として入ってきます」
毎朝、各方面から新刊の荷物が届くと、荷さばき場所に行って、机を出し、到着したばかりの新刊を一冊ずつ出して確認し、フロアごとに分けていく。足りないものは注文し、売れそうな本は、いち早く追加発注をかける。刺激的で、瞬時の判断が試される気が抜けない仕事だ。本の内容と店内のレイアウト、お客さんの流れなど、さまざまな要素を考え合わせなくてはならない。
「池袋くらいの規模の店だと、配本がない本はほぼないので、日本で出版された本のほとんどに、矢部さんか自分が必ず目を通していたことになります。そんな2年間でした」
小国さんは池袋店ののち、ららぽーと富士見店という新店の立ち上げに関わり、2016年に退社する。『BOOKS青いカバ』を開店したのは、2017年1月のことだ。
「高校のころから、自分の店をやりたいなとは思っていました。古本屋がいいという気持ちがあって、今となっては当時どれくらい本気だったのかは覚えていないですけど、会社に勤めるよりは自分でやったほうがおもしろそうだということは、ずっと思っていました」
大学時代の古本屋のバイトで、本を買い取って値段をつけて出すことは経験があったが、古書の市場で買ったり売ったりという、いわゆる“古本屋の修行”はしていない。「いまが修行期間」と小国さんは言う。開店した年の8月に古書組合に入って、市場の仕事をやり始めたのは2019年6月からだ。
「新刊書店の人と話していて気づいたのは、古本に対して怖さがあるんだなと。純粋に店に入りにくいという怖さにくわえて、値付けをしなきゃいけない怖さ、買い取りをしなきゃいけない怖さですね。新刊書店では電話一本で本が入ってきますから。
古本屋の場合は、すごく小さい会社組織で、老舗はあっても大手はないでしょう? みんな横並びで顔が見える。小さいぶん、匿名じゃなくなるわけで、それが尻込みしちゃう理由なのかなと。まあ……古本屋のほうが口が悪いし怖いですね。
とはいっても、先輩たち、ものすごいレジェンドのような人たちを尊敬はしていても、卑屈になってなんでも従わなきゃいけないわけじゃない。みんなライバルで同業他社なわけですけど、それぞれで売上げをつくって食べていっているということに対する敬意を、互いにもっている。自分にとってはそういうところが楽だし、居心地がいいです」
小さい会社組織であるからこそ、ひとりひとりの本の知識が如実に店に反映される。本を大事に思うだけではなく、その上で商売として成り立たせなくてはならない。一朝一夕で身につくものではないからこそ、その力は多様で、互いを尊重するのだ。
「偉そうにしている人は偉そうにするだけの理由がありますね、古本屋さんは。かといって、自分が合わないなって思ったら従わなくてもいいし、むこうも絶対に従わせようとは思っていない。相場を知っていたり、値段が高い理由や売れる理由を熟知していることに対する尊敬は、新刊書店で棚をきっちりつくって売上げをつくる人に対する尊敬とイコールなので、すごく納得できます。なんでそんなこと言われなきゃいけないんだって思う人がいないっていうのは、とてもすばらしいです」
独立独歩で店をつくりあげていく。頼れるのは、自分ひとりの才覚だ。会社組織を抜けて気楽になった面もあるが、いっぽうで帳場のなかでひとり、一喜一憂する日々が続く。