第21回 札幌、八戸、立川に暮らしたころ〜小国貴司さんの話(2)

 
 
 小国貴司さんは、小学校・中学校・高校とそれぞれ違う土地で暮らしている。生まれたのは山形県だが、小学2年生から卒業までは札幌、中学は八戸、高校は立川だった。
 札幌で過ごした小学生時代は、80年代後半から90年代前半、ちょうど超能力や大予言がはやっていたころだった。
 
「当時は、学校図書館でオカルト関連の本や、図鑑をよく見ていました。図鑑シリーズのなかでは、宇宙が好きでしたね。あとは漫画。手塚治虫の『ブッダ』は、親が1巻を買ってきてから、めっちゃ読んでました。愛蔵版で、今でも実家にあります」
 
 中学に進むと八戸へ。青森県の太平洋沿岸部に位置し、さほどの豪雪地帯ではないが、「やませ」がふく。東北地方の太平洋側で春から夏にかけてふく東寄りの風で、寒流の上を渡ってくるためにとても冷たい。小国さんは、この「やませ」を体感し、ほんとうに寒かったと話す。
 
「札幌から八戸に来て、はじめは言葉がまったくわかりませんでした。同級生が言っていることはまあまあわかるんですけど、年配の方のは100聞いて95わからないこともあって。英語の先生が、かなりのおじいちゃんで、日本語よりも英語のほうがわかるんじゃないかって思ってましたね。でも半年も経つとほぼ聞き取れるようになって、1年後には自分でもしゃべるようになっていたので、不思議なものです。
 その後、立川に引っ越して高校に入ると、自分の言葉が通じないこともあり得るので、最初の1カ月くらいは寡黙なキャラだった気がします。ひたすらまわりの言葉を聞いていました」
 
 八戸では、徒歩圏内に1軒、車で行く距離に3軒、よく行く新刊書店があった。中学では時代小説を読みふけっていたという。
 
「歴史が好きだったんですね。10代で歴史好きといえば、たいてい幕末か戦国時代ですけど、ご多分にもれず幕末でした。池波正太郎と山本周五郎。ある程度、史実を描いていたり、実在した人物が出てくる小説を読みました。池波正太郎だとイチオシは『幕末遊撃隊』。ちょう好きでした。あと『幕末新撰組』、これもちょう好きです」
 
 もうひとつ、中学のときに身も心も捧げたのはゲームだった。
 
「コーエーってあるじゃないですか。ゲームソフト開発会社で、『信長の野望』シリーズが有名ですけど、このコーエーのシミュレーションゲームが好きでした。当時のゲームソフトは、今だったらゲーム機そのものが買えるくらいの高値だったんですけど、コーエーのソフトはそこからさらに一段階高い。だから最新のものは、クリスマスとか誕生日のときに買ってもらうのがやっとで、あとは中古のソフトを買ってきては、ひたすらやりこむ。コーエーのシミュレーションゲームだけを」
 
 話に熱が入ってきた。
 ーー今でも覚えているソフトってありますか。
 
「コンピュータのハードウエアを売る会社のトップになって、その会社を運営していくやつ(『トップマネジメント』)です。最初はデスクトップを売って、体力がついてくるとラップトップを開発して売ったりするんですね。ラップトップが何かわからなくて、8つ上の兄に聞いたりしました。新商品をいつ投入するのか、そのタイミングをあやまると売上げが激減したりします。他社と競ったりするし、かなり細かい数字も出てきて、経常利益を上げていくのが目的なんです。……これはあまり知られていないゲームかもしれません。まわりはみんなストツーをやってたし」
  
 中学生がまず選びそうにないセレクトではある。かなり渋い。
 
「あとは、アメリカの独立戦争のシミュレーションゲーム(『独立戦争 Liberty or Death』)。独立側でもイギリス側でも、どちらもプレイできて、13州を統一すると終了です。物資が恵まれているのはイギリス側だけど、将兵の質が高いのは独立側で、前半はイギリスが圧倒的に有利。ゲームとしては独立側のほうが難しいので、独立側でプレイしていました。やっていくと、アメリカ独立戦争ってヨーロッパの代理戦争だったんだなあってわかってくるんです。独立側がフランスなんですね。そうやって歴史が知りたくなって、本屋さんに行って独立戦争について書かれている本を探したりしました」
  
 小国さんにとってゲームとはすなわちシミュレーションゲームだった。高校になると、ゲーム機がスーパーファミコンから、プレイステーションやセガサターンに移っていったこともあって、コーエー熱は冷めていく。
 八戸から東京都内の立川に引っ越し、入学した高校は進学校ではあったが、かなり自由な校風だった。生徒会や文化祭などの校内行事は予算分配も含めてすべて生徒が運営し、先生は授業をするだけの存在。選挙で選ばれた生徒会が学校自治を取り仕切り、予算が適正に使われているかどうかなどのチェックをする報道機関として新聞部がある、という模擬国家のような仕組みだったという。
 
「高校生になって、ようやく文学系のものを読むようになりました。覚えているのは教科書で読んだ、阿部昭の『自転車』。こんなおもしろい話があるのかと興味をもつようになって、現代文の先生もいい先生で授業も楽しかったんです」
 
 くわえて、当時、住んでいた自宅の隣が本屋、という夢のような立地もあって、その店に毎日立ち寄るようになる。
 
「本屋といっても、レンタルビデオと新刊書店が同じフロアにある業態で、とくに気の利いたものでもなかったんですけど、とりあえず新刊をチェックすることはできるので、学校の帰りに毎日行っていました。あと、近所に古本屋も一軒できて、そこで吉行淳之介、原田宗典、五木寛之などのエッセイを買っていました。いきなり小説にはいかなくて、このころはエッセイが好きだったんですよ。村上龍や村上春樹といった王道も読みましたけど」
 
 現代文の授業の影響もあって、小国さんは大学で小説や詩を勉強したいと思うようになる。1999年4月、立教大学に入学、日本文学を専攻した。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。