中学〜高校時代、80年代のことだけを考え続けてきた下田裕之さんは、2005年、法政大学に入学して哲学を専攻した。担当の先生はバタイユが専門だったが、下田さんが興味をもったのはジャン・ボードリヤールというフランスの哲学者だ。
「たとえば、やかんの使用価値は『湯をわかす』ところにあります。この社会に、やかんが30個しかなかったら、『湯をわかす』機能が重宝されるけど、ひとり1個持っていたら、この機能は特別じゃなくなるから、人びとにそれ以上消費を促すことができない。じゃあどうやって買わせるかというときに、若者に人気のデザイナーがつくったとか、メーカーブランドオリジナルのロゴをつけたりだとか、ノーブランドにはない記号的な付加価値をつけるようになる。ものの価値は、使用的価値から記号的価値に移行するということを指摘した人です。
これは学問的な理屈だったんですけど、日本社会でこの差異化が現実になり始めたのが、80年代なんです。当時セゾングループ代表だった堤清二氏が『無印良品』を立ち上げたのは、ボードリヤールの理論の影響があるといわれています。ブランド隆盛の時流に逆らって、あえてブランドをはずした“無印”のレーベルをつくったんですね」
大学生の下田さんは、ボードリヤールを勉強するのと並行して、評論家の大塚英志をはじめ、サブカルチャーの領域で活動する人のものを読むようになる。ただ80年代を考えるだけじゃなく、社会的なしくみのことまでを考えるトレーニングをしていった。その後も思考を続け、現在では批評ユニットTVODを結成、来月1月31日には『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)という書籍を発売予定だ。
そうやって80年代サブカルチャーを考え続けてきた下田さんに、聞いてみたいことがあった。サブカルとは何か、ということである。
わたし個人としては、サブカルという言葉が便利遣いされすぎて、その意味するところが人によって違ってきているように感じている。本屋さんの棚の分類札に「サブカル」とあると、芸能、格闘技、漫画、画集……とジャンルもさまざまな上に、ほんのりアンダーグラウンド感が漂う本が並んでいることが多い。なんとなくはわかる。考えるよりは感じる分野というのが、わたしのサブカルに対する雑なイメージだ。サブカル求道者である下田さんなりの定義を聞いてみたいと思った。
「サブカルチャーというのは、元々は社会学者が使い始めた言葉なんです。欧米の社会学での使われ方は、ある社会でのメイン(統一者側)の文化ではないもの、たとえばイギリスにおいては、移民系のエスニックカルチャーのような、社会的マイノリティによる文化というニュアンスが強い言葉です。でも日本では、そういうニュアンスは抜いて使われていますね。
日本では、60年代の対抗文化(カウンターカルチャー)が70年代に入って反体制的なニュアンスが消えていき、その思想性を抜いたものが資本側に吸収されて消費文化になった、というプロセスがあります。カウンター性が抜けた対抗文化が、サブカルチャーだと」
カウンターカルチャーとは、社会の体制的なものに対して異議を唱えたり、抗議したりした文化をさす。アメリカだとヒッピーの人たちが開催したウッドストックでのフェス、日本だと学生運動などがわかりやすい。60年代後半に世界で同時多発的に起こった潮流だ。
「日本では、1972年のあさま山荘事件で新左翼に対しての希望がついえてしまったことで、カウンターカルチャーの終わりが可視化されてしまったと思います。ただそのあたりから『宝島』『POPEYE』などの雑誌が力をもってくる。『宝島』は海外のヒッピーカルチャーやカウンターカルチャーの影響からスタートしているんですけど、『POPEYE』のような雑誌が70年代を通してそういう海外文化をカタログ的に紹介していくようになります」
「サブ」というからには、「メイン」があるわけで、何がメインで何がサブなのか、その考え方で意味が変わってくる。
「このメインとサブを消費文化のレベルの中だけで考えてしまいがちなこと自体が、日本社会が政治性を意識しづらい環境であることの証明になっていると思うんです。消費文化内のメイン・サブだけでなく、たとえば最初に言ったような民族的な問題はどうなんだろう、というところまで考えたいので、本を読んだり集めたりしたいんです。自分の興味を消費文化レベルのサブカル趣味に留めておくのは、あんまりおもしろくないなって」
さらに下田さんは、サブカルチャーはじつは産業構造の話でもある、と話す。
「アカデミズムとも違い、政治運動でもなく、かといって大衆的ポップカルチャーでもないという領域につくられた文化ーーたとえば『rockin’on』や『本の雑誌』といった雑誌は、自分たちでインディーズ的な組織をつくったところに共通性があります。どちらの雑誌も、元々はミニコミ的なところから始まり、70年代にプレサブカルチャーな存在だったものが80年代以降に花開く。80年代は、サブカルチャーの自主製作が活発になった時期でもあって、レコードをつくることがかなり自由にできるようになってきたし、自主製作レコードの流通会社が立ち上がったりしました。同人誌を売るコミケも隆盛を極めてきます。
でもほんとうに個人で自主製作やネット販売ができるようになってしまったら、そうした小規模流通も存在感を失ってくるんですね。70年代に準備され、80年代に隆盛し、90年代以降にゆっくりと消えていく、サブカルチャーを取り巻くそういった流れがあったと思います。日本のサブカルチャーは、アマチュアによって切り開かれた流通経路で広がり、消費された文化でもあります。出版業界においても、そういう歴史があるんじゃないでしょうか」
わたしが感じた、本屋さんにおけるサブカル棚の印象の由来は、ここにあるのだろう。書かれている内容ではなく、その文化の成り立ちの話なのだ。
下田さんは、さらに広く、政治性の有無も射程に入れて、サブカルチャーを受け止めている。一方で、政治性を抜き去ったからこそ、大衆が受け入れやすく広まったという面も否めない。
「もちろんそうです。いってしまえば、思想性を抜いたロックみたいなものですからね。どこで売るにも、それほど不都合はない。80年代は情報メディア環境がすごく変化したので、いわゆる80年代フジテレビ的=「楽しくなければテレビじゃない!」みたいな狂騒のなかで、消費されていったんだと思います」
下田さんのサブカル論は、1コマの授業を聞いたような充実と満足感があった。「みんなそれぞれの『自分が考えるサブカルチャー』というのがあるので、すごく揉めるんですよ……。事実上、今はもうサブカルなんて死語ですからね」。下田さんはそう言うけれど、わたしはさらに、人それぞれのサブカルチャーを聞いてみたくなった。否が応でも、人は自分が生きた時代とは無縁ではいられないのだ。