海東さんはいま、歴史時代小説を多く読んでいる。
「とくに江戸時代が好きです。人びとが遊びを工夫していて、いろいろな文化が生まれた豊かな時代だったと思います。
吉川弘文館から出ている『日本随筆大成』という全集があるんですね。江戸時代のさまざまな身分の人が書いた随筆を集めたものです。古本でしか手に入らないんですけど、昭和54年に完結している版が案外安く見つかって買ってしまったんです……四六判函入で103巻もあるんですが。
これをたまに引っ張り出してぱらぱら読んでいると、当時の歴史や風俗が伝わってくるんです。案外、有名な学者が書いたものより、農民や、書き人知らずの巻のほうがおもしろい。当時は身分制度が厳しかったとされていますが、必ずしも身分が低い人が虐げられていたわけでもないんじゃないかと思い始めたのは、この本にふれてからです」。
30代から40代前半くらいまでは、時間の使い方が下手で休みの日でも仕事をしたり、自分が読書をする時間がとれないことが多かった。2週間、本を開かずにいたこともあったが、いまは毎日開く。いちばん本を欲して読んでいるという。
幼いころは、本を最後まで読むことがなかなかできなかった。
「あきっぽかったんですね。中学3年までで、最後まで読んだ本は3冊くらいしかありません。そのうちの1冊は『宿題ひきうけ株式会社』という児童書で、これはおもしろくて必死に読みました。小学校3年生くらいのときです。
中学で星新一を知り、高校では筒井康隆。おもに短編を読んでいたんですが、大学に入って友人の影響で海外ミステリーを読み始めると、はまりました。大学の勉強そっちのけです。『ミステリマガジン』(早川書房)はこのころからずっと買っていて、大学は京都にあったんですが、当時「京都書院」という本屋さんがあって、そこにうずたかく積んであったのを覚えています。今ではうちの店に1冊か2冊入ってくるくらいですけど……」。
海外ミステリーに限らず、自分の想像の翼を広げて知らない世界を知る喜びが読書の醍醐味、と海東さんは思っている。大学で海外ミステリーにふれて、小説も読むようになったが、40代に近づくとフィクションから遠ざかり、司馬遼太郎の『街道をゆく』などの歴史ものやノンフィクションに傾向がうつってくる。
「40代のころは、フィクションはそれほど自分の役に立たないと思っていたんです。ああ楽しかった、で終わっちゃうんじゃないかって。でも最近は、心を動かされて、涙を流したりするのはすごく貴重な体験だと気づきました。親が死んだときでも泣けなかったのに、小説を読んで涙をぽろぽろ流す自分を発見して、ちょっとびっくりして。フィクションの世界の力は自分をリセットする力があります。
50代になって両方読むようになりました。ノンフィクションは知識興味の対象で、どんどん深く掘り下げて専門書もたどっていく。小説の場合は資料片手に読むこともなく、リラックスしてその世界に没入していく。ときには夢にまでみるくらいに。その両方が読書の醍醐味としてあるんだなあと思います。年齢とともに本の受け取り方や感想は、どんどん変わっていきますよね。いまは何を読んでもおもしろいです」。
海東さんの話を聞いていると、相当な蔵書家である様子が伝わってくる。『日本随筆大成』が103巻、『ミステリマガジン』が約40年分、そしてこのごろ『ブリタニカ百科事典』をネットオークションで1円で買ったという話題もあった。そうした「全集もの」以外にも、さまざまな本が群れをなしているはずだ。どのように収納しているのか、そしてご家族の目は冷たくないのか。
「1階のリビングと、自分の書斎はもういっぱいで、嫁さんの部屋にも置いて、天袋とか押し入れにも入れて……怒られてますよ、床が抜けるって。抜けないようにバランスよく配置していますけど」。
そのバランスに安心してはいけない気もするが、さらにいえばコレクションは本だけではない。レコードもある。クラシック音楽、洋楽、邦楽、落語のレコード(志ん生全集!)などもあって、その数ざっと3000〜4000枚。作曲家別に並べているという。
「好きなのはベートーヴェンです。交響曲よりは、室内管弦楽のほうが好きですね。意外とオーケストラ専用の楽曲はそんなに多くなくて、チェロとピアノのための二重奏曲とか、そうした小規模管弦楽が多いんです。
でもいちばんのヘビーローテーションは、『ツィゴイネルワイゼン』(サラサーテ作曲)。気分がのらないときに聴くと、よけいに落ち込んでくるんですが、不思議とそのあとすっきりします。この曲だけでも何枚もあって、演奏家によってだいぶ違うんですよね。それもまた楽しんでいます」。
余談ではあるが、この原稿は『ツィゴイネルワイゼン』を延々とリピートしながら書いた。すらすら、とまではいかないが、背筋が伸びて、比較的集中して取り組むことができたように思う。