第6回 百科事典が飛ぶように売れたころ〜海東正晴さんの話(1)

海東正晴さんが勝木書店に入社したのは、1985年のことだ。
それより以前、大学を卒業してすぐに入ったのは、メガネフレームを製造・販売している会社だった。福井県は、鯖江市や福井市を中心にメガネフレームの一大産地で、国産フレームのおよそ95%を生産している。原材料や部品、製造機械、表面処理など数百ものメガネ関連会社があるなかで、海東さんが入社したのは比較的大きな老舗の会社だった。

「ひとりの人の手で完成品に近いものをつくる、そうした職人の仕事に憧れていました。メガネの製造過程は流れ作業ではあるんですが、機械に依存しないので、磨き作業にすごく長けている人とか、個人の力量によるところが大きいんですね。
入社してまず、研修期間でメガネをいちからつくってみることを学んで、次に修理部署に回されました。どんなに壊れたメガネでも直すという会社だったので、仕事はおもしろかったんですが、古い体質の会社で新しいことをやりたがらない風潮だったんです。仕事がわかってくると、ああしたいこうしたいという欲求が出てきたんですけど、おとなしくしているように言われて、それが合わなくて1年半くらいで辞めました」

辞めたはいいが、食い扶持は稼がねばならない。次の働き先を探して、福井市内のよく行っていた書店をたずねるが、いまは募集していないと断られる。そこで勝木書店にねらいを定め、書店で働きたい、自分が入ったらこんなことができる、と社長宛に手紙を書いた。そうして退社から一週間くらいで転職に成功し、書店員となった。26歳のときである。

現在、勝木書店は福井県内だけでなく、石川県や関東地方にもグループ店をもつが、海東さんが入社した当時はまだ県内に3〜4店舗しかなかった。社員も少なく、定期採用で入ったわけでもなかったので、とりたてて研修というものもない。本店や支店で「見よう見まねというよりは、指示されたことをやって」、次の年に担当になったのが、二の宮店だった。この店で好きなようにやっていいと、ある意味ほったらかしにされたことで、あらゆる試行錯誤を重ね、のちに13年間、店長を務めることになる。

二の宮店は、福井駅から車で10分ほどのところ、幹線道路沿いの住宅地にあった。今は「新二の宮店」として近くに移転していて、当時の場所にはない。海東さんの家は、この店から徒歩10分くらいのところにあり、トレーニングがわりに走って通っていたこともあったという。

「本がよく売れる時代でした。百科事典はずいぶん売りましたよ。出版社がチラシを入れてくれるので、朝からばんばん電話がかかってきました。店頭に来られたお客さんにもどんどんすすめて、自分ひとりで1日に20セットくらい売ったこともあります」

百科事典が飛ぶように売れたという、今では書店業界で都市伝説のように語り継がれている話を実際に体験した人を前にして、思わず息をのむ。

「いちばん多かったのは、嫁入り道具としてでした。女性も大卒が増えてきて、そうした女性たちが百科事典を持参して嫁入りというのは様になったんだと思います。きちんとしたお洒落な身なりのお母さんと娘さんが一緒に来られることが多かったです。あとはお孫さんへの贈りもの。百科事典がひとつのステータスだったんですね」

80年代の福井の結婚式は、なかなか豪勢だった。家具や家電などをぎっしり積んで嫁ぎ先へ運ぶ紅白幕を付けた大型トラック(後年、中身を見せるためにガラス張りになる)をよく道で見かけたし、新郎宅の屋根から紅白饅頭を投げる“饅頭まき”に紛れ込んで、一心不乱に拾った記憶がある。あのめでたいトラックの中に百科事典が積まれていたのだろう。だが、多くの場合はページを開かれることなく、部屋の装飾品として使命を終えた気がする。

「百科事典だけでも20数万円したんですが、嫁入り道具として100万円くらいで本をみつくろってくれと言われたこともありました。当時は文学全集もたくさん発行されていましたからね。ありがたい話でした」
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いったいどこの富豪の話だと耳を疑う。100万円分、自分だったら何を選ぶだろうと考え始めると、自分で自分の思考に追いつけなくなる。

「二の宮店にいたころは、こちらはお客さんの顔を覚えているし、お客さんもこちらのことを知っている。よくあったのは、のし袋の宛名を書いてほしいという依頼です。僕だって上手いわけではないんですが、けっこう字を書くのが苦手な方が多かったんですね。口コミで広がって、息子さんへの手紙の代筆までやったことがあります。買った本を送りたいと言われて、送料は書店もちで発送したこともありました。
一方で、当時は販売のノルマがあることもあったんです。1冊3〜4万円くらいする地名辞典とかです。外商部が図書館を回ったりするんですが、店頭でもひとり10冊売らなきゃいけないという……。それで顔見知りのお客さんに声をかけると、そんなに困ってるんなら買ってあげるわよって、3冊も買ってくれたことがありました。離れたところに住んでいる息子さんが3人いるから送る、と。そういう時代だったんですよね」

1冊3万円とまではいかずとも、新刊が出ると自分でチラシをつくって近隣の家を回ったこともあったという。ポストに入れるだけでなく、在宅していたら玄関をあけて話をする。たいていは断られるが、なかには後から店に来て、あまり売れていない様子だと買ってくれたりした。

「あのころは、店とお客さんが毎日顔を合わせて天気の話をしたり、近所づきあいみたいにしてつながっていたんですね。お客さんが必ず買う作家やジャンルの本がわかっているから、店側で一生懸命調べて棚に揃えるんです。今みたいにすぐ検索できるわけじゃないから、わかる範囲で調べて。するとごっそり20〜30冊くらい買っていってくれる。そして次はこんな本がほしいと言ってくれる。そうやって頼ってくださる人もいて、信頼関係が成り立っていました」

地方だからなのか、時代の違いなのか、どちらもなのか、海東さんが話す当時の勝木書店は、本屋さんとお客さんの関係がかなり濃密だ。そして動く金額の桁が違う。
「でもいまは、こういう人間関係でものを売る時代じゃなくなってきたんだと思います」と海東さんは話す。では、どうやって本を売っていくのか。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。