第49回 本がある空間から文化を発信する〜根井啓さんの話(3)

2002年4月、大学を卒業した根井啓さんはコネクタなどをつくる部品メーカーに就職した。車やロケットの部品を製造していたその会社には、当時2700人ほどが働いていて、根井さんは人事関連の部署だった。

「海外勤務者管理とか、管理職の昇格選考試験とか、そういう仕事をしていました。10年働きましたけど、ずっとつまらなかったです。やりがいもなかったなあ。話が合う友達もできなくて、仕事以外ではずっと漫画を読んでました」

2008年には、大学の後輩だった女性と結婚する。転機が訪れたのは、2011年の東日本大震災だった。

「塩釜と石巻に友人が住んでいて、しばらく連絡がとれませんでした。結果的には無事だったんですけど、人は簡単に死んでしまうって思ったんです。それに、会社は計画停電でなにも業務ができないのに机の前に座っていないといけなくて、ただぼんやりするしかなかった。こんなつまらない生活をしていては駄目だって思って、翌年会社を辞めました」

退社後、オーストラリアのメルボルンに単身渡航、3カ月滞在した。

「メルボルンに大きな図書館があって、その図書館のあり方がとても良かったんです。図書館では静かに過ごさなければいけないと思っていたけど、そこはピアノをつかったイベントをやったり、にぎやかなんですね。チェスをやる空間があったり。文化の集積だけではなくて、発信する場なんだって感じました。このときに、店を開くことを考え始めた気がします」

帰国して2年ほど、クラウドファンディングの会社に勤めたのち、2017年10月に『NENOi』を開店する。

「クラウドファンディングというものを、このとき初めて知ったんだけど、人と人をつなぐところが、おもしろいなと思ったんですね。でも、ベンチャー企業で人づかいが荒い会社だったから、子供ができたときに子育てに関われない予感がして、妻の妊娠がわかったときに退職、本格的に開店準備を始めました」

根井さんは、メルボルンの図書館やクラウドファンディングを知ったことで、「場をつくりたい」という思いが強くなった。人と人がつながり、そこから新しい何かが生まれる場。

「僕がつなげる、というよりは、店に来た人同士、第三者同士がつながればいいなと思っていました。店に来たお客さんが、今度自分の店を開くんだけど、開店時の人手が足りないという話をしていたときに、たまたま店にいた早稲田の学生さんが手伝いに行ってくれたこともありました。コロナになって、気軽にみんなが集まることができなくなったことで願った形にはならなかったけど、ここには確かに“場”があったな、とは思います。店を閉めるときに気づいたことですけど」

人と人をつなげる場として、「書店」であることは、どのような意味があったのだろう。

「現実的に、本だけで商売していくことは自分には無理だったし、実際ほとんど妻の収入で暮らしていました。おすすめした本を買ってくれたお客さんから、おもしろかったという感想をもらったりしたのには助けられたけど、一方で、店内でやたらと写真を撮る人や、乱暴に本を扱う人はかなりストレスでした。できれば、街の本屋として淡々と売上げを伸ばしていきたいけど、ここは他店と違うぞっていうことを常に発信していかないといけない面がありますよね。そういう意味では変わっていかないといけない、でも変わりたくない部分もあった、と思います。次に、本屋をやる機会があったら……どうだろう、悩みますね」

根井さんは、2023年6月、妻、6歳の長男、猫一匹と共に、オランダのライデンという街で暮らし始めた。オランダ最古の大学があり、緑ゆたかなところだという。渡航前には、オランダでやりたいことはまだ、思いつかないと話していた。
8月に受け取ったメールには、ようやくヴィザがとれたこと、船便の荷物はまだ届いていないこと、オランダ語はぜんぜんわからなくて、でたらめな英語でやりとりしていること、日本と違って今年のオランダは冷夏なこと、などが綴られていた。
何かやりたいことは見つかったか、というこちらの問いに対しては、「これがほんとうに悩ましいです。本屋も閉めたいま、自分は何がしたいんだろう、そして何ができるんだろう、とちょっと見失ってる感じがあります」とあった。
見失った先に何を始めるのか、根井さん自身も予想がつかない道が続いている。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。