2007年、後藤聖子さんは結婚した。相手は2歳上の建築士の男性だ。
「知り合ったきっかけは、ニフティのチャットルームでした。オフ会で会ったんですが、当時は互いにつきあっている人がいて、なんとも思っていなかったんですね。第一印象はこの人とは合わないかもしれない……でした。その後なんとなく集まるようになったグループに、お互いがいたりいなかったり。ふたりで連絡を取り合うほど仲が良いわけではない、そんな友人関係でした」
その後、しばらく会わない期間があり、3〜4年後に再会すると、相手は一度結婚したのち離婚していた。
「再会したときは、なんかこの人、一緒にいると楽だなと思ったんです。互いのタイミングが合ったのか交際が始まって、たしか2年くらいで結婚しようっていう話になりました」
後藤さんが32歳のときだった。結婚することに不安はあったという。
「一緒にいて楽だなと思う反面、本人がとても健康に育ってきたこともあって、わたしの持病についての理解が浅く、不安はありました。それまでも、寝込むときはひとりで対処してきたので、別に看病をしてほしいわけではないんです。ただ“すべての病は気から”と考えているところがあったので、協力しあうべきところで、すれ違うのではないかと感じていました」
結婚して、生活を共にするようになると、不安が形となっていく。
「不安は残念ながら的中してしまいました。家事分担とか、話し合いたい問題がもちあがっても向き合ってくれない。だから、めんどうになって、あれもこれも自分でやってしまう。結局、休職せざるを得ないところまで体調を悪化させてしまいました。
でも途中で気がついたんですね。これは受け入れてしまっている自分の問題だなって。それからはどんなにイラつかれても、めんどくさいから自分でやっちゃおう、はやめました。互いの声に耳を傾けられないのなら、夫婦という濃密で気の長い関係はいつか破綻するに決まっています。誰と、どうやって生きていきたいのかを、わたしも夫も自問しなければならないなと思って、中途半端に応えてしまうのはやめようと決めたんです。そうやって時間をかけてやりとりをして、今は夫も、家事、めちゃめちゃやってます」
今はごはんもつくるし、食器も洗う。たとえ食器が放置されていても、後藤さんは洗わない。そういう覚悟が決まっている。
「振り返れば、話してもどうせわからないって、わたしも夫に対して対等に向き合えていなかった証拠でもあるんですよね。夫婦は鏡と言いますが、本当にそうなんだろうと最近よく思います。今年で17年目ですけど、今でもたまにおもしろいケンカをします。夫婦って、ほんとにしょうもなくて、なんかウケますね」
おもしろいケンカ、というのはたぶん、ケンカをしている途中で互いにそれぞれあらぬ方向へ突き進んでいってしまう類いのケンカのことだ。本人たちは真剣そのものだが、傍から見ると犬も食わぬ。
「あれ、なんか夫の悪口しか言ってない気がする」と、後藤さんは笑う。
「いいところは……口下手なんですけど、気持ちを一生懸命態度で表そうとしてくれるところですね。なにより、居心地抜群の家を建ててくれたことに感謝しています。どこかに行くと必ずと言っていいほどお土産を買ってきてくれるし、夫なりにわたしの好きそうなものを探してきてくれます。どうどう? って、感想をきかれるので、自分は口下手なくせにーと笑ってしまいます。あとは、カラオケにもよくつきあってくれます。彼は声が高いのでMISIAを歌い、わたしは米津玄師を歌ったりします。誘うのはたいていわたしなんですが、延長するのはいつも夫なんですよ」
なにより、後藤さんがつくった本を読んで感想を言ってくれるという。とてもいい。
ときにぶつかり、そのたびに会話を積み重ねて、家族になっていく。