第40回 岐阜の地に根付く店にする〜深谷由布さんの話(2)


 
 岐阜の古書店『徒然舎』店主、深谷由布さんが生まれ育ったのは愛知県。京都の大学を卒業して会社に就職するまでは、岐阜は隣県とはいえ縁もゆかりもない土地だった。
 
「就職した出版社が岐阜市にあって、そのときから住み始めました。会社を辞めて古本のネット販売を始めたのも岐阜でしたし、お店も岐阜でやろうと思ったんです。
 当時、岐阜には昔ながらの古本屋さんが3、4軒ありましたが、若い人でも気軽に入りやすい感じの古本屋はまだなかったので、そういうお店をつくったら会社に勤めている人が帰りにふらっと立ち寄ってくれるんじゃないかと思ったんですね。会社員時代の自分がまさにそういうお店を求めていました。まわりの人からは、そういう店は岐阜にはないから、岐阜でやるのは止めたほうがいいって言われたんですけど、ないからつくりたかった」
 
『徒然舎』が店を構えるのは美殿町商店街の一角。JR岐阜・名鉄岐阜駅から歩いて15〜20分ほどで、大通りをはさんだ向かい側には柳ヶ瀬商店街がある。柳ヶ瀬商店街はアーケードがあり、飲食店や雑貨店が軒を連ね、映画館や百貨店も建つ繁華街だが、美殿町のほうはこぢんまりとした商店街だ。かつては路面電車が走り、食器、呉服、家具、蒲団と婚礼品関連を扱うお店が多かったという。現在は、石畳風の道で夜にはガス灯がともる落ち着いた雰囲気の通りになっている。
 深谷さんは、2011年、たまたま物件を見つけた殿町で開店。美殿町商店街は殿町のお隣りで、商店街を抜けて店に通ううち、ここに店を構えられたらと思うようになった。
 
「1階が店舗で2階が住居という方が多いこともあって、通りの空気が穏やかです。わたしはそもそも、お店をやるのが怖くてネット販売を始めたくらいなので、美殿町の落ち着いた感じが居心地がいい。商店街のみなさんも2014年の移転オープンのときから応援してくださって、ここで店をやれてよかったなと思っています」
 
 古書店にとって、本をどうやって揃えるかというのは商いの肝だ。古書市場で競り落としたり、お客さんから買い取ったりしたものを、店主が値付けし、棚に並べていく。その並びを見て、お客さんが本を売りに来る。そうやって人びとの間で本が回っていく。本を売り買いする古書店は、街の空気を映す鏡のような存在ともいえるだろう。
 
『徒然舎』は、近隣の図書館や大学とも、本の売買を通して付き合いがある。
 
「大学の研究室に買い取りに行く機会があったんですね。研究室の買い取りは本の冊数も大量で良い本が多いんですけど、こちらから営業なんてできないので、どうやったら付き合いを深めていけるんだろうと思ってました。いただいた依頼を頑張ってやってきて、硬めの人文書の扱いが増えてくると、先生方から購入の注文が増えてきて。いまでは、いろいろなところから買い取り依頼がくるようになりました」
 
 そうした実績をHPで公表すると、公立の図書館からも連絡がくるようになる。
 
「岐阜県図書館の司書の方から、全集の歯抜けになっている巻を揃えたいけど、新刊書店にはもう売ってないから、古本で探してもらうことはできますか、という電話がかかってきました。欠本補充ですね」
 
 あくまで岐阜県内の話だが、図書館では、全集内の欠本や、返却されなくてそのままになっているものなど、探している本のリストがある。だが簡単に手に入るものばかりではなく、たとえネット上で希望の本を見つけても直接購入できない場合もある。そこで、そうした本を探し、購入して納品しているという。
 
「わたし自身が図書館で働きたかったこともあるし、公共的な仕事をやりたいと思っていました。店の信用にもつながります。でも、そうした仕事のときは扱う書類が膨大なんです。見積書をつくって決裁通してもらって……という流れも煩雑。大学図書館でも、大学ごとに必要な書類や項目が違ってきますから、公費でのご注文が増えるにつれて事務に時間をとられるようになってきて、それで社員を増やしたということもあります」
 
 話をうかがっていると、古書店の仕事が思った以上に多岐にわたっていることに気づく。買い取り、値付け、棚づくり、接客だけでなく、公費購入に関わる書類仕事、帳簿つけ、給料計算……。「古本屋でこんなに事務やってる人ってあんまりいないんじゃないかと思います」と深谷さんも話す。ひとりで店をやっていたときより、商いが大きくなってきているぶん、事務作業も増えてきた。
 
「会社員時代は思わなかったんですけど、市場でほかの古本屋さんと話していると、自分は事務作業が得意なほうだなとは感じます。店を経営する側になったこともあって、目の前に事務仕事があると気になっちゃうんですね。数字もちゃんと合わせたいし、間違いたくない。開店からまだ日が浅いうちの店が信用を得ていく近道は、そこしかないなと思ってやってきて、結果的によかったなと思います」
 
 仕事が多岐にわたるからこそ、ひとりでは手に余る仕事を他のスタッフに任せる。とくに出張買い取りの面では、夫である藤田真人さんの力が大きい。藤田さんは、名古屋の老舗古書店『太閤堂書店』の2代目でもあり、長く古本を扱ってきた実績がある。
 
「いろいろな意味で、出張買い取りに向いていると思います。現地に行って、たとえば3000冊くらいの本だったら、ざっと見て、しっかり値段のつけられる本とそうでない本を見極める。このジャンルだったらいくらくらいと見積もって、状態をチェックしたり、ご家族の方と話したりして、細かく値段を詰めていく。そういう仕組みはわかっているんですけど、わたしは、たとえその値段以上では買えない、損してしまうとわかっていても、この値段だと傷ついてしまわれるかなとかいろいろ考えちゃうタイプなので、お客さまとのやりとりが苦手なんです」
 
 藤田さんは、ひとりで買い取りに行き、本の値段をその場で決めて、お客さんに支払い、本を車に積んで帰ってくるという。素人からみると、思いが及ばないスキルだ。古書店主には当たり前のように備わっているスキルなのかもしれないが、だいぶ格好いい。
 
「ときどき同行することがあるんですが、わたしは口をはさまないで見てます。お客さんに対して、ちょっと踏み込みすぎでは……と思うことを言ったりしてるんですけど、終始和やかな空気で謎の共感力がある。あれは真似できないって、スタッフとも話してます」
 
 自分が理想とする店がないからこそ、自分でつくる、が出発点だった。いま『徒然舎』は確実に、岐阜の地に根付きつつある。より深く、広く根を張るために、さまざまな技能を持った人たちが集まって、太い幹となっている。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。