蓑田沙希さんは、2008年3月に大学を卒業した。27歳のときだ。法政大学文学部(二部)日本文学科へ二年時編入で入学し、5年間在籍したことになる。
「卒業して、ある編集プロダクションに入ったんですが、あまり合わなくてすぐ辞めて、次に日本レキシコという会社に入りました。辞書や事典の編集を手がけている編集プロダクションです。ここには店を始めるまで10年間勤めて、今でも編集者としてお世話になっています」
働き始めた一方で、卒業の翌年には結婚する。相手は、大学時代に契約社員として働いていた先の5歳年上の男性だ。
「2010年は、常用漢字の改定があって辞書業界が忙しい年になる予定だったんですね。だからその前に結婚しちゃおうと思って」と蓑田さんは笑う。
就職と結婚がほぼ同じ時期で、その事実だけ聞くと生活が激変したようにみえる。
「学生じゃなくなったというのは大きかったように思いますが、生活はそんなに変わりませんでした。飲み歩いたりしてましたし……。すぐ子どもが産まれたわけではなかったので、結婚してもそんなに変化はなかったです」
結婚して5年後、長男が産まれる。
「20代のころは自分が子どもを産むことにぴんときていなくて、自分に似ていたら嫌だなって思っていました。でもいざ子どもが産まれたら、わたしとぜんぜん違う人間だから、似ていたらなんて取り越し苦労だった。そもそもわたしではない、と。異性だからというのもあるけど、自分の鏡でもないし、所有物でもないし、ひとりの人が新しく誕生したっていうことだから、どんな子になるんだろうっていう楽しみのほうが大きかったです」
とはいえ、妊娠中にはいろいろと考えてしまったことも事実だ。妊娠出産の間、2年くらいはまったくお酒を口にしなかったから、それまでとはまったく違う生活になった。これからどんな変化が待ち受けているのか。
「当時、コクテイル書房の狩野さんと話していたときに、『大人のなかに子どもが参加するだけだから何も変わらない』って言われたんですね。狩野さんは、お子さんが小さいとき、前抱っこしながら店番していたりしていたんです。いまはお子さんも大きくなって、また違う気持ちになっていると思うんですが、あのときの言葉は、すごく気が楽になりました。お母さんらしくならなくてもいいんだって。そんなことそもそも無理なんですけど、母らしくあらねばならない、と思うことすらしなくていいんだって思ったんです」
長男は今年、小学2年生になった。
「子どものことを守らなくては! っていうのは、ぜんぜんないです。守るというより、“生かす”みたいなのはあるかもしれません。産んですぐのときは、風呂で溺れるとか、抱っこしているときに転ぶとか、自分のさじ加減ひとつで子どもを殺してしまうかもしれないというプレッシャーがありましたけど、“わたしが守らなければ”は、当時もいまもない。わたしがそんなこと言わなくても、けっこうしっかりしてるなって感じるし、なんとかやっていけるだろうっていう信頼があります。
世の中のニュースをみていると、人が誰も殺さず、誰にも殺されず、死ぬまで人生を全うすることは、けっこう難しくて、奇跡的なことのように思います。わたしも、子どもも、“絶対”はない。だからなるべく、運良くいてほしいというか、自分がやりたくないことをあまりやらないでいい人生であってほしいなとは思ったりします」
蓑田さんの子どもに対する思いは、控えめのようでいて、切実だ。
「自分のことも、年齢を重ねてきて、元気でいられるかとか、あんまり飲みすぎるのはよくないとか、そういうことを昔よりは考えるようになってきましたね。なんか、しょうもないですけど」