第33回 古書店であり、酒と肴の店であり〜蓑田沙希さんの話(1)


 
 東京の東側、地下鉄東西線の東陽町駅から歩いて5分ほどのところに、『古本と肴 マーブル』がある。思いっきり伸びをしてお腹を見せた猫の絵が目印で、「古本買入 一冊からお持ちください」「瓶ビール(サッポロ赤星)冷えてます!!」という手書き文字が猫のまわりに書かれている。周辺には学校や区役所、スーパーや飲食店が点在し、にぎやかではあるが生活のにおいがする住みやすそうな街だ。
 店主の蓑田沙希さんは、2018年5月19日に、この店を開いた。もともとあった一軒家をリノベーションして、1階は店舗、2・3階を住居としている。2021年12月、取材にうかがうと、蓑田さんは2階から7歳になる息子さんを呼んで紹介してくれた。古書店と立ち飲み処と自宅、それぞれが無理なく成り立ち、支え合っている場である。
 
 店内は細長い空間で、壁沿いに作り付けの大きな本棚があり、奥には小さなカウンターがあって酒と肴が楽しめる。酒はビールと日本酒、甘くないレモンハイなど、肴は簔田さんの手作りで、盛り合わせが人気だ。肴は日替わりで7〜8種類あり、開店日には黒板に書いたメニューを店のTwitterにあげている。このメニューがたいそう魅力的で、個人的には、古本屋さんというよりは酒飲み処として行ってみたい、というのが当初の正直な思いだった。
 えんがわとネギのコチュジャン和え、カキと舞茸のオイル漬け、ホタテと赤カブのマリネ、ゴボウ赤ワイン煮、牛すね大根……Twitterの投稿を見かけるたびにメニュー名を小さく音読し、これ絶対美味しいやつ、絶対盛り合わせにすべき、と思いを強くする。そして実際、ものすごく美味しかった。盛り合わせてある料理の色味のバランス、味と歯ごたえのバリエーション、日本酒との相性、すべてが完璧だった。この料理をつくる人は、酒飲みにちがいないとも思った。
 酒と肴に陶酔して、初回の訪問ではろくに棚も見ずに帰ってきてしまったが、この店の成り立ちと蓑田さん自身について、話を聞いてみたいと思った。これまでのシリーズとはまた違った「生活」があるように感じたからだ。
 
 古本屋でもあり、酒と肴も楽しむという店の形は、蓑田さんのなかでずっと思い描いていたことだった。
 
「高円寺に『コクテイル書房』という店があって、20代前半のころから16〜7年ほど通っています。自分で店をやることを考え始める前からコクテイルを見ていたので、今のこの形は新しくもなく、めずらしくもなく、あたり前のものだったんですね。だから、本か料理か、どちらかだけっていうのは、ぜんぜん考えていませんでした」
 
『コクテイル書房』は、古書店でありながら、小説などに出てくる料理をアレンジした「文士料理」や、文学作品から着想を得たメニューを出す酒場でもある。蓑田さんにとっては身近な先輩だったといえる。
 一方で、「古書錆猫」の屋号で一箱古本市などに参加していた。
 
「雑司が谷で開かれる『みちくさ市』には、何度も出店していました。最初に、客として岡崎武志さんのブースで本を買ったときに、“買うよりも売るほうが楽しいよ”って言われて、次のときには自分の蔵書を並べて出店してみたんです。そうしたら、すごい売れたんですよ。素人だからたかがしれてるんですが、みんなちゃんと買ってくれるんだと思って。それで味をしめてしまったんですね」
 
 この体験から、自分で店をやることがリアルになってきたという。古本を売ることが楽しくなってきたし、店舗にするのであれば、ちゃんと古物商の許可申請をして買取ができるようにしたほうが、おもしろそうだと思った。
 今では、近所の人を中心に買取依頼も少なくない。
 
「コロナ禍で店を閉めていたときも、ほんとに対面できなかった時期以外、買取だけはやっていました。近所の人たちが、ピンポンを押して本を持って来てくれたりして。この場所で店を開いてみて、古本屋として買ってもらうだけじゃなくて、売ってもらうことも大きいなと思っています。近所の人にとって本を売る場所があるって思ってもらえたら、それはひとつの役割なのかなと」
 
 現在は、週4日、夕方から夜にかけてオープンという営業形態だが、開店当初は昼から夜まで通しで開けていた日もあった。
 
「最初の半年くらいは、週2日、昼から開けていました。子どもたちとか、夜には来ないお客さんが来てくれるので魅力的だったんですが、体力的につらいっていうのと、フリーで受けている編集・校正の仕事が忙しくなってきたこともあって、いまはほぼ夜のみの営業にしています。これからまた変わるかもしれないですが」
 
 お店にやって来るお客さんは、日によってさまざまだ。性別や年齢もばらばらで、近所に住んでいるとも限らない。会話が盛り上がるときもあれば、ときには静かに本を読んでいることもある。
 
「店を始める前は、自分に近いタイプのお客さんしか想像ができなかったんです。たとえば、わりと若めの人が静かに本を読んでいて、こちらからなんか話しかけたほうがいいのかなって思いながらも、そのまま帰っていく…みたいな。でも、ふたを開けてみたらまったく違っていて、わたしが話さなくても、お客さんだけで話が回ってる。当初は、背もたれのある大きめの椅子を置いていたんですが、すぐに捨てました。いまはほぼ立ち飲みです」
 
 開店して3カ月くらいで、カウンターのスタイルが定まった。
 
「入口のドアも、ある程度開けっぱなしにしておくと、いろいろな人がただ覗いていく。飲み屋だと注文しなきゃいけないと思って入ってくるけど、本屋だからただ本を見て帰ってもいい。それが心地よいなと思っています。みんなそれぞれやりたいことをやればよいので、本だけの人もいるし、飲むだけの人もいる。それは、お客さんの力というか、わたしだけの判断で決まったのではない方向性だったと思います」
 
 店は、大通りからすこし入った細道に面している。
 
「路地の延長みたいな感じで入ってきて、何もしないで帰ってくれてもいいんです」

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。