2011年の東日本大震災をきっかけに本屋をやりたいと思った伊藤幸太さんは、2015年9月、西荻窪に忘日舎を開く。42歳だった。
開店してすぐのころに取材したとき、「生活の立ち寄り場所としての本屋さんをやりたい」と伊藤さんは話していた。
「当時は場が必要だって感じていましたし、だからそう話したのだと思います。ただ実際に開いてみて、それはわたしが言うべきことじゃなかったかもしれないと反省的に思うんです。おこがましいというか。
店を開けていると、わたしに会いに来たという人もいるし、開いていてくれてありがたいと言われることもある。誰の心にも、場を必要としている気持ちみたいなところがあって、そのひとつとしての機能は果たしているんだと感じます。場を開いたことで、作家さんが来てくれたり、誰かと誰かをつなぐことができたり、とりあえず5年やってみて目指していたことのひとつは達成できたかなとは思います」
場をつくったのは他ならぬ伊藤さん自身で、手応えも感じている。だがそれはすべて、本のおかげだ。これは発見だった、と伊藤さんは言う。
「本の存在、そのものの力です。わたしが自分の関心がある本を仕入れて、並べていくと、店が生成していく感じがするんですよね。生きものみたいに」
しばし、伊藤さんの言葉を反芻する。店が生成していく……それはどこか、自分が薄まっていく感じだろうか。
「そうそう、どんどん自我がなくなっていく感じですね。それがすごく心地よくて、逆にストレートに自分が出せるようになる気がします。できれば存在を消して、この場所だけが残る、そんなことを考えたりします」
書店で本を選んでいるとき、自我の境界が薄まっていく感覚に襲われることがある。棚に並ぶ本が互いに手を取り合って、小声で、でも聞き流せない圧力で主張してくる。店主がなんらかの意図で配置した並びをたどりながら、本の渦に積極的に巻き込まれていくと、次第に自分の足下があやふやになってくる。本棚という生きものに、自分が吸い込まれていくような感覚。その本棚をつくっている店主までもが、似たような感覚をもっていたとは。落語の『蛇含草』のように、人間を“溶かす”何かが、本には備わっているのかもしれない。
忘日舎という場を開き続けながらも、伊藤さんは、自分の店をあまり意味づけしたくないという。
「店をやり続けていくと、自分の店はお客さんや、作家さんや、いろいろな人の関わりの中でできているということがわかってくるんですね。書店にはそれぞれのカラーがあるわけですけど、店主ひとりで成り立っているわけではない。店主の個性も出ているかもしれないですが、店に来てくれる人と一緒につくる、というのが今はとてもしっくりきています。
店は“本がある場所”なんですが、挑戦していかないと広がらないとも思っています。知らないジャンルを書店側が学んでいかないと変わらない。だからハンセン病文学の読書会などは、自分にとってものすごく勉強になりました」
本を買いにくる人、店主と話しにくる人、読書会に参加する人など、本屋さんという場にはさまざまな目的で、それぞれの思いを抱いて人が集まってくる。いっぽうで店主は、本を売る、という一見シンプルなことを日々考え、試行錯誤を続けていく。中心にある「本」そのものの吸引力の大きさを改めて実感する。本しか売っていない場所に、多種多様な人たちが集まってくる。
「いつも、なんでこんなことやってるのかなって思いますよ。ひとりで。お金にもならないし。経営もがんばらないといけないですね。……疲れきってますけど。
でもやっていくうちに、必要としてくれている人が、ぽつぽついらっしゃるんです。昨日の最初のお客さんは、開口一番、ご自身のアイデンティティについて、すらっとおっしゃるんですね。かつて海外にいたときの、人種や国籍、性別など関係なく、ふつうに人びとが交差するような感覚を思い出しました。そんなときはとくに、店やっててよかったなって思います」