第22回 演劇と古本屋巡りの日々〜小国貴司さんの話(3)

 
 
 
立教大学文学部に入学し、日本文学を専攻した小国さんだが、授業の出席率はあまりよくなかった。
 
「お芝居のサークルに入ったんですね。演じるだけでなく、台本書き、照明音響、演出まで、全部自分たちでやるところでした。1年間に3公演あって、4月は2年生、10月は3年生、12月は4年生最後の舞台と、メインとなる学年が変わるんです。
 公演期間中は授業は二の次で、といっても拘束されるのは2週間ほどなんで単位に影響はないんですよ。でもなんとなく、期間中以外もみんな授業いかない空気になっちゃって。学校には行くけど授業に出ない。部室に行ったり、池袋の古本屋を回ったり。何しに学校に行ってるのか……。2年生のときはたしか、通年で10単位もとりませんでした」
 
 演目はすべてオリジナルの脚本だった。当時は、キャラメルボックスやNODA MAP、劇団☆新感線などがブームだったため、サークルでは比較的ストーリーがある演劇をつくっていて、小国さんは脚本を書いたりもした。
 
「即興演劇が好きでした。台本がない状態で、シチュエーションだけをあたえられて、その場を回していくというものです。有名なのは『橋の上のエチュード』。橋の両端から人が来て、ふたりともそれぞれ向こう岸に渡りたい。でも、どちらかが譲らないと橋の上ではすれ違えない。即興でやりとりをして、対岸に行けた人が勝ちというゲームです。
 たとえば、一方の人が“向こう岸で父親が病気で死にそうなんです。すぐに行かなきゃならないから通してください”と言う。ここでもうひとりが“いや、向こう岸にお父さんはいないよ”ってこたえると話が終わっちゃいますよね。一方を否定することを言ってはいけないんです。だから“僕はちょうどその病気を治す薬を持っていますよ。向こう岸にあるから取りにいかせてください”と言うと、話が転がり始める。それを即興でやるんです」
 
 これは演劇の訓練のひとつとして、ワークショップなどでよく使われるという。見世物としてのおもしろさも意識してやらねばならず、正論だけでやりとりしていてもつまらない。この即興性は、のちに思いがけず役に立つことになる。
 
「クレーム対応とか接客にすごくつかえるんです。その場で、相手の顔や言動を見て受け答えを変えたり、ときに強く出たりっていうのは、全部、即興演劇でやることなんですよ。絶対に相手を否定しない、というのがルール。否定すると場が止まっちゃうので、相手がしたいことと、こちらがしたいことを、うまく回していくんですね。これは、リブロに入ってから気づきました」
 
 大学時代は演劇サークルに没頭する一方、古本屋さんでアルバイトをしていた。高校時代を過ごした立川から千葉県の流山に一家で引っ越したのが大学1年の夏。アルバイト先の古書店は、流鉄の平和台駅近くにあった。
 
「流山は、江戸川の水運で昔からそれなりに栄えていた街で、高級住宅街ではないけど本読みはかなりいる土地柄だと思います。働いていた古本屋にも良い本を売りにくる人が多かった。店はもうないんですが、いまのブックオフのようなチェーン店のひとつでした。大学2年から卒業した年の5月までいて、買い取りをやらせてもらったりしました」
 
 ほかにも、塾講師、家庭教師、飲食などかなりの数のアルバイトを経験し、最後の1年間は古本屋、家庭教師、サンシャイン60展望台のおみやげ店と3つをかけもちしていた。稼いだ金をいちばん多くつぎこんだのは、古本屋巡りだ。高校時代、立川にあった古本屋さんでそのおもしろさに開眼、大学生になると自宅や大学の近くの店をはじめ、各地を回るようになる。
 
「いちばんよく行ったのは中央線沿線です。荻窪のささま書店、西荻窪の音羽館、盛林堂、中野ブロードウェイのまんだらけ、海馬、古書ワタナベ、吉祥寺のよみた屋……名前を挙げたらきりがないほど、よく通っていました。古本屋を探すために駅を降りて散歩する、ということをただひたすらくり返していましたね。いま自分の店がある駒込も、そういう思い出がある街です。
 この20年、やっていることはまったく変わっていない気がします。日々本屋に行く、それだけを20年やってきたから、自分の店をもっているのかなって気がします。それ以外のことはやれなかった、ともいえますけど」

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。