第13回 書店員ののちに始めた新しい仕事について〜徳永直良さんの話(4)〜


 2016年、勤めていた友朋堂書店が閉店し、徳永直良さんは次の職を探し始める。
「ポリテクセンター茨城」という雇用支援をする施設で半年間、職業訓練を受けて、翌年、第二種電気工事士という資格をとった。「一般住宅・店舗など600ボルト以下で受電する設備工事に従事できる資格」で、コンセント工事などに必要になってくる。
 なぜこの資格に目をつけたのか。
 
「2011年の東日本大震災で、電気の意味が変わったと思うんです。電気が通貨の役割を果たすようになった、と。
 2012年に車を買い換えることになって、電気自動車にしました。三菱の i-MiEVという軽自動車。価格は300万くらいするんですが、それまでガソリン代が月8000〜1万円かかっていたのが、月500円になるんです。いろいろプランを付けてもプラス2000円くらい。毎月6000〜8000円は浮くんですよ。
 2016年ころからは、街中に急速充電器スポットが増えてきて、充電するにも不自由がなくなってきました。車は電気で走り、街中で充電すると、V2H(Vehicle to Home:車両から家へ)といって家でも電気として使えるんです。HEMS(ホームエネルギーマネジメントシステム)というシステムがあって、うまくつなげれば洗濯機や冷蔵庫などの家電を動かすことができる。つまり、車が走る充電池になるわけです。
 もともとは、前に乗っていた車のエンジンが壊れたけど、車のことはまったく詳しくないから、どうしてダメになったのかもわからず、じゃあエンジンがない車にしようってことで i-MiEVを買ったんです。それで電気のことを考えるようになって、おもしろいって気づきました」
 
 徳永さんはいま、ビルメンテナンスの仕事に就いている。仕事内容は、各種設備がちゃんと動いているかどうかといった点検と記録が多いが、整備したり、配線するには、資格が必要になってくる。
 
「たとえば、ビル内の蛍光灯が点かなくなって、新しいものに換えても点かない。その場合は、蛍光灯の中に入っている安定器という別の回路を取り替えることになります。これはコンセントの中をいじるのと同じなので、電気工事士の資格がないとできないんです」
 
 ビルメンテナンスの仕事は、電気通信や空調、給排水などの設備を点検・管理したり、清掃、防火防災、警備など多岐にわたる。オフィスビルや駅ビルなどを毎日のように使っていて、トイレの水が流れ、空調が適宜効いていて、エレベーターやエスカレーターがちゃんと動いているのが当たり前のように感じているが、もちろんそれらは人が働いているから成り立っている。仕事内容が多種多様なだけに、「ビルメンテナンスの4点セット」と呼ばれる資格があるという。
 第二種電気工事士のほかに、二級ボイラー技士、危険物取扱者乙種4類、第三種冷凍機械責任者の4つだ。これらの資格がなくても働くことはできるが、取得しておいたほうが仕事の幅も広がるし、職にも就きやすい。
 徳永さんは、第二種電気工事士を取得したのち、働きながら他の資格に取り組み、二級ボイラーと危険物を取得、冷凍機もあと一科目を残すのみだ。加えて、2年の実務経験が必要だった一級ボイラー技士の免許も、最近取得できた。
 素人からすると、それぞれどんなときに必要な資格なのか、よくわからない。徳永さんの話を聞いて、空調設備をどうにかするための資格、のような気がする。
 
「そうです。この仕事に就いて初めて認識したのが『冷熱源』のことです。自分の家だとエアコン1台あればすむことなんですけど、大きなビルになると冷房にも暖房にも源が必要なんですね。『熱』はボイラー、つまりはやかんに水をいれて熱して蒸気を発生させるやつです。『冷』も、ある意味ボイラーなんですが、むかしはフロンを使っていて……このあたりちゃんと説明できないな……冷凍機の資格が取れていないだけに…」
 
 現在のビルメンテナンスの仕事の話を聞いていると、書店員のときとは、まったく別の頭の使い方をしているようにみえる。
 
「ビルメンテナンス自体がサービス業ではあるんですよ。直接の相手が個人のお客さんではないんですけど。自分は電気の知識とか、まだ全然全然足りていなくて、百のうちの一にもなっていない感じですが、ビルメンテをサービス業ととらえる人とそうではない人がいる気がします。団塊の世代がちょうど辞めていくときで、過渡期なんでしょうね。本屋さんも過渡期だけど、この業界も過渡期です」
 
 再就職のことを考えるとき、今の職種以外のことを考えることはなかったのだろうか。たとえば、書店員とか。
 
「うーん、いやいろいろ……というか、本屋さんにも行きましたよ。地元にある出版社とかも。でもたぶん年齢でダメだったんだろうと思います。ただ逆に言うと、転職した当時は53歳でしたが、そのタイミングでよかった。60まで働いて、もう仕事ないって言われても、どうにもならなかったなって。今の会社では正社員にしてもらえましたが、自分の後にポリテクセンターから40代が4人入ってきました。自分が後だったら50代は雇わなかったでしょう。タイミング的にぎりぎりでした。
 そう考えると、本屋さんって経営者はいいけれど店員は……何もないじゃないですか。たとえ店が運良く続いても、いまは運良く続くのさえ難しいわけですけど、60になったら終わる。書店員をやったことを後悔しているわけじゃないですが、いま、この仕事をやり始めて、20年若かったら将来的に違うものが見えてきたなって思うんです。自分はほんとに何も考えていなかったから言っておきたいんですけど、書店員プラスアルファはやっておいたほうがいいと思う。将来設計を考えてほしい」
 
 30年、書店員として働いたのちの情熱と冷静が同居していて、その葛藤が伝わってくる。書店員を辞めても人生は続くのだ。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。