第12回 つくばの本屋さんで、できること〜徳永直良さんの話(3)〜

今回の取材時、徳永直良さんに会う前に、わたしは友朋堂書店の吾妻店に立ち寄ってみた。つくば駅から、エキスポセンター内にある実物大モデルのH2ロケットを見ながら歩く。
区画整理された住宅地を抜けると、「本」というネオンサインのポールが立っている。すごく高いポールだ。平屋建ての店のガラスドアには「小さな手袋の忘れものをお預かりしています」とイラストを添えた紙が貼ってあり(2月だった)、書店員さんたちの温かみが伝わってきた。
中に入ると、まず雑誌コーナーがあり、郷土出版物や岩波文庫が棚に並んでいる。空いている棚も少なくないなかで、筑波書林のふるさと文庫シリーズは充実していて、定価の半額とある。『筑波研究学園都市ー頭脳都市の周辺学ー』『いばらきの銘酒地図』の2冊を買って、店を出た。

徳永さんは、この吾妻店でアルバイトとして働きはじめ、1989年に社員になった。大学時代、数多くの仕事を経験した上で、本に関わる仕事がしたいと思ったという。

「友朋堂でアルバイトを始めたときは、大学は辞めていました。バイト時代は返品伝票を書くのが主な仕事でしたね。社員になったら、まずは雑誌です。店の入口のところで、その日入ってきた雑誌の束を解いて棚に並べる。次に書籍の新刊。雑誌は鮮度が高いものなので、まず雑誌棚をつくるのが友朋堂的な流れでした。10時開店なのに、みんな出勤してくるのが9時半だから、荷を開けて並べるのがいつも間に合わないんです。開店時にすでに棚に並んでいる店を見て、すごいなあって思っていました。
社員になった当時は、本はよく売れました。週末、雑誌やコミックの棚のところで立ち読みする人が多くて、身動きがとれないからどうにかしてって言われたこともありました。駐車場も広くて100台以上、停められましたしね」

2010年ごろから、徳永さんは独自の方法で、お客さんとやりとりしていた。ツイッターの個人アカウントで、お客さんからの要望を受け付け、友朋堂に在庫があるかどうか調べたり、本を探したり、注文を受け付けたりしていたのだ。

「90年代にやっていたパソコン通信のようなことができないかな、と思ったんです。ツイッターは2009年からやっていて、店アカウントではなく、個人のアカウントで友朋堂の徳永と名乗って、DMや返信でいろいろな要望や注文を受け付けていました。配達はしていないので、店に直接来る人に向けてです。買うかどうかわからないけど入れて欲しいというものに、入荷して○○の棚にあるので見てください、と返信したり。サザエさんの三河屋さんみたいな御用聞きを目指していたんです」

お客さんからの要望で、店内にない本を注文するときには、お客さんの名前と連絡先を伝票に書くのだが、ツイッターだと本名を知らないことも多く、「@○○」といったアカウント名で書くこともあった。御用聞きという密なやりとりをしつつも本名を知らないという絶妙な距離感である。
この元には、パソコン通信やBBS(電子掲示板)の経験がある。通信ネットワーク上の人たちとのやりとりに慣れがあったし、オフ会で実際に会って話した体験があったから、ツイッターでの交流も、すんなり始めることができた。

「何人くらいとやりとりしたのかは、わからないんですが、評判はよかったです。欲しいと思っている人に本を届ける。基本的には、書店員ができることはそういうことだと思います。新宿などの大きな街にある本屋さんとは違って、友朋堂には地面がつながっている範囲の人が来るわけですから、つくばという土地で、来てくれた人に対して何ができるのか、を考えていけば、どんな本に需要があるのか見えてきます。
ツイッターをやっていない年配のお客さんから相談を受けて、自分ではわからなかったのでツイートして聞いてみたら、しばらくして知らない人から返事がきたことがありました。ネット上にテキストベースで残しておけば、いつか検索でひっかかることがあるかもしれないんですね。思いついたら発信しておくと、今の時代は何かにつながることがあるんだと思います」

愛媛の実家から出てきて、つくばに住んだこと、大学でコンピューターに慣れ親しんだこと、そうしたことすべてが書店員としての素地になっている。本屋さんで働くことは、徳永さんのなかで無理も矛盾もなく、とてもスムーズな流れに感じた。当の本人も、とくに気負うところもなく「書店員は自分の天職だと思う」と言う。

「店でいろいろやってみて何かしらの成果が出ると、満足感がありました。でも自己満足的なところもあったと思います。
たとえばシャーロック・ホームズって、謎解きを楽しんでいるスタンスですよね。変人で、人を人とも思わぬところがある。自分にもこれと近いものがある気がするんです。相手が何か探している、検索してみた、あった! となったときに、その経過にばかり集中して、人の顔を見ていないんじゃないかって。客商売が嫌いなわけじゃないんですけど、本を売るのが好き、というよりは、本に囲まれているところが好きなのかもしれないです。でも、ツイッターでのやりとりも成果はあったし……続けたかったですね」

友朋堂を辞めようと思ったこと、ありますか? と聞き終わらないうちに、徳永さんは「ないです」と断言した。あまりに即答で、こちらが面食らったほどだ。

「仕事辞めたいとか、書店員を辞めたいと思ったことはないです。出版社的な仕事とか、本に関わる他の分野もみておけばよかったなって思うことはありますけど。あ、友朋堂の社長とケンカしたときは辞めようと思ったかな。でもまあ都合の悪いことは忘れちゃうんです。記憶力があまりいいほうではないので」

その確信に満ちた答えが羨ましかった。これが30年間、同じ店で書店員を務めた重さだと思った。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。