第2回 いま、本屋を一からやり直している〜日野剛広さんの話(1)〜

 東京都心から京成電鉄に乗っておよそ1時間、志津駅に降り立つ。住所は千葉県佐倉市。平日の昼間、人の行き来は少なく、駅の自動改札を通るときのカード認識音が妙に響く。駅はショッピングビルと直結していて、その3階に「ときわ書房志津ステーションビル店」がある。改札から歩いて1分とかからない。
 
 この本屋さんを知ったのは、ツイッターだった。
 2017年3月に『東京こだわりブックショップ地図』という本を上梓し、自著が本屋さんにどのように受け止められているのか気になって、書店や書店員アカウントを探しまくった時期があった。いわゆるエゴサーチというやつである。
 書店アカウントは新刊情報など表向きのつぶやきが多いのに対して、書店員さん個人のアカウントは正直な心の叫びが多く、店で働くなかでの日々の悩み、逡巡、ときに怒り、あきらめ、とまどい、といったものが真に迫っていた。自著のなかで、「書店員さんの試行錯誤をしつこく文字にしていきたい」と書いたのが恥ずかしい、自分はなんにもわかっちゃいなかった、と思った。
 なかでも、雑誌などで取り上げられることは少ないが、長く街に根付いて地元の人しか知らないようなお店で働く人の声が、心に残った。そのなかのひとりが、日野剛広さん。ときわ書房志津ステーションビル店の店長である。
 

 
 日野さんは書店員になって28年になる。
「ときわ書房の船橋本店でアルバイトをはじめたのが22歳のときで、大学を卒業して1993年に入社、社員になりました。だから四半世紀以上、書店員をやっていることになるんですが、その自覚を強くもちはじめたのは、ここ2〜3年です。それまでは極端なことを言えば、書店員としては死んでいました。やっといま、本屋を一からやり直しているんです」
 
 自分はなぜ書店員をやっているのか、そうした職業的自覚をもちはじめたきっかけは何だったのだろう。今から2〜3年前に何があったのか。
 
「僕が志津店に異動になったのは2013年1月でした。その前は八千代台店に13年。かなり長くいたんですが、自分の仕事に行き詰まりを感じていた時期でもあったんですね。かといって志津店に異動してきてリフレッシュできたわけでもなく、なんとなく日常を引きずったままで、むしろ環境が変わったストレスが大きくて。
 正社員は僕ひとりだから、書籍、雑誌、コミックといった各ジャンルをひとりでみていかなきゃならないし、CDも扱っている。いちばん困ったのはコミックです。それまで担当したことがなかったし、片手間でできるジャンルでもない。僕はバランスが良くない人間なので、なんだか作業ばっかりしていて考える余地がない感じでした。
 さすがにやりきれなくて、CDやコミック、児童書を担当するパートやアルバイトが入って、任せるようにして、すこし気持ちに余裕ができた。それが2015年くらいです」
 
「それと、世の中が急速に悪くなってきたでしょう? 貧困の問題があるし、ヘイトスピーチは野放しだし、2015年には安保法制(平和安全法制関連2法)の可決(2016年施行)、2017年には共謀罪(テロ等準備罪を新設した改正組織犯罪処罰法)が施行されたし、なにより嫌韓本の問題がある。
 この急激な変化は、書店員として、どういう立ち位置でいるかということを考えるきっかけになりました。本屋で何ができるんだろうって」
 
 ツイッターでの日野さん個人のアカウントや、日野さんがつぶやくお店のアカウントでは、積極的に、ときに熱情をもって、現在の政権や世情に対しての批判を発言している。現状に対する自分の思いを飲み込んで静観するという、波風が立たない穏当な方法を選ばず、己の立ち位置を、その逡巡も含めて、ツイッターで表明しているところに、書店員をやり直している日野さんの意思と覚悟を、わたしは感じている。
 店内をじっくり見ていくと、人文書やノンフィクションの棚に、ひときわ熱量を感じる。ノンフィクションの新刊、既刊が並ぶ横に、憲法、レイシズム、戦争関連の本が続いていく。日野さんが担当している棚だ。
 
「ノンフィクションは現実をテーマにしていて、いまほんとうに読んでもらいたい切実な本というのは、ここなんじゃないかと思っています。もちろん実用書や小説を軽視しているわけではなくて、自分のなかでは、ということですが。
 一方、憲法の本は、いまの時代、ある意味ノンフィクションであって真剣に考えていかなくてはいけない問題ですから、中心的分野にしていきたい。『鉄筆』という出版社の『日本国憲法 9条に込められた魂』という本があって、憲法作成に携わった幣原喜重郎首相が9条を制定するいきさつと、本人の考察が書かれているんです。この本を中心に据えて売るために関連書で固めていったのが、あの棚です。
 一冊の本があって、それを核にして、いろいろ選書していく。そういう関連づけた並べ方は手にとりやすいと思いますし、自分でやるのも好きです」
 
 棚の並びを見ると、本の関連づけに無理がなくスムーズに自分の思考が流れていくのを感じる。日野さんは、さぞや読書家なんだろうと思った。
 でも「とんでもない!」と笑う。「とくに人文書の分野は、哲学思想などを勉強しているわけではなく、はったりで並べているようなものです。いやもう、はったりだらけですよ。はったりをうまく形にするのは、若いときから案外得意なほうだったかもしれません。鋭い人にはもちろん見透かされるんですが」。
「幼いときは、本が嫌いというか、読みものが苦手でした」と日野さんは話す。
 
「幼稚園のときは鉄道が大好きで、将来は電車の運転手になりたかったんです。当時は大阪の阪急電車の沿線に住んでいて、阪急も好きでしたが、特急の名前とヘッドマークを熱心に覚えましたね。折込広告の裏に自分で考えた空想の路線図を書いたり。地図や時刻表、あと図鑑を愛読していました。
 当時は、物語を最後まで読み切れなかったんですが、図解や絵と解説文で成り立っている図鑑は好きでした。鉄道のほかにも、動物や昆虫の図鑑も好きで、やたらと固有名詞ばっかり覚える子どもではありましたね」。
 
 クラスに同好の士がいたこともあって、小学校4〜5年生くらいまでは鉄道好きが続く。大きな転換期を迎えるのは、小学6年生のときだ。
 
「YMOです。忘れもしない、フジカセットのCMですよ。メンバー3人が出てきて『テクノポリス』が流れるやつ。見て一瞬で心を奪われました。小学6年生のときに『ライディーン』が出て、正確には前年のレコードに入っていた曲なんですが、あれで火が付いた。母親は男が化粧するなんて言語道断だって顔をしかめるし、部屋に貼っていたポスターをはがしなさい! って言われたり。どこか踏み込んではいけないようないかがわしさに惹かれたのかもしれません。ともかくYMOが人生を踏み外したきっかけです」。
 
 中学に入ると、YMOから洋楽へと興味がうつっていく。
 
「中学2年のとき、僕は学研から出ていた『サウンドール』というYMOをフィーチャーしている雑誌を少ない小遣いで毎月買っていました。同じクラスに野球部のエースで不良の小林君という子がいて、彼は洋楽派で『ミュージック・ライフ』(シンコー・ミュージック)を買っていた。で、互いに貸し借りをしたりして仲良くなったんです。JAPANとかデュラン・デュランとかカルチャークラブとか、ブリティッシュ・インヴェイジョンといわれるイギリス勢が人気があった時期ですね。83年にYMOが解散しちゃったこともあって、洋楽に傾倒していきました」。
 
 小林君とは、音楽を通じてかなり意気投合したが、その後の連絡はとっていなくて、どこで何をしているのかはわからない。
 日野さんはのちにバンドを組み(ボーカル担当)、大学を卒業してからもバンドを続けたいがために時間が比較的自由になりそうな公務員試験を受けるも結果ははかばかしくなく、書店に就職することになる。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。