第15回 書店員として働きはじめたころ 〜下田裕之さんの話(1)〜

2019年3月、東京都国分寺市に古本屋さんがオープンした。店名を早春書店という。店主の下田裕之さんはジュンク堂書店に10年勤めたのち、35歳で自分の店をもつことになった。これから始まるシリーズは、この下田さんの話だ。

下田さんが大学を卒業してジュンク堂書店に就職し、書店員になったのは2008年。

「正直なところ、学生時代に自分の将来のことをきちんと考えていたわけではなかったです。音楽やったり、本読んだり、文章書いたり、そうしたことがすごく好きだったんですけど、大学を卒業したら仕事しなきゃいけない。でも専攻は哲学だったから、そんなに選択肢があるわけじゃなくて、かなり後ろ向きな気持ちで就職活動をしていました」

文房具の会社など、数社をぽつぽつと受けたりしたなかで、大手新刊書店のチェーン店であるジュンク堂書店に応募、面接までたどりつく。

「ぜったい書店員になるぞっていう強い気持ちじゃなくて、募集していたから応募したという感じで……。でも、ジュンク堂の面接は、面接官とちゃんと会話のキャッチボールができた記憶があります。志望動機とかではなく、どんなことが好きなのかを聞かれて、80年代のサブカルチャーが好きなんですよって話をした気がします。うろ覚えですけど」

面接が無事に通ると、入社前年の夏、インターンとして1ヶ月ほど働いた。それまで本屋さんでのバイト経験はなく、何もかもが初体験でうまくいかなかったが、とにかく一生懸命やった。ちゃんと真面目にやろうと思った。

「それまでずっとふわふわしていたんで、一人前になりたいって思いながら働いていました。社会的にちゃんとしたいって」

2008年に正式に入社すると、池袋店に配属され、芸術書の担当になった。先輩の下について仕事を覚えるはずが、その先輩が退職、入社して数ヶ月でフロア長になる。さらにその直後には、新規開店する店舗に行って棚をつくる「新店作業」を割りふられる。怒濤の展開だ。右も左もわからないうちに、新しい仕事の渦に飲み込まれている。わけがわからない。

「新店作業というのは、どういう本を入れるか考え、注文をかけて、あとはひたすら事務処理と力仕事です。商品が期日までに入っているか確認しながら、みんなで一斉に検品したり。本が入荷したら箱を開けて棚に並べる、レジなどの備品を用意、といったことを並行して進めていきます。
僕の入社がジュンク堂の出店ラッシュの時期とちょうど重なっていたので、多いときには2〜3ヶ月に1回はどこかに出張していました。最終的に20店舗以上関わったと思います。いろんな場所に行けておもしろかったですけど、ずっとひとつの店を守って本屋の仕事をするみたいな状況は、どうやら自分にはなさそうだぞと感じました」

入社して、いきなりの激務である。
下田さん自身が入社したばかりで書店員としての仕事のやり方が試行錯誤な上に、新店舗で奮闘する新人さんからの相談を受けることもあった。そのときに感じたのが、書店員の仕事のノウハウを、どうやって伝えていくかということだ。
経験さえ積めば、誰でもできる仕事なのだろうか。

「個人的には、方法論を教えれば、どんな人でもできると思います。ただその方法論を組み立てることが、けっこう難しい。
まず、実際に読んでいなくても頭の中にある程度、各ジャンルの体系的な知識が、どう枝葉で分かれているかを知ること。その最低限の地図がないと、いちいち調べていたら物理的に時間が間に合わない。次に、その地図を元に身体を動かす。首から上の知識と、首から下の丈夫な身体、両方がないといけないんですけど、これを教育して伝えていくのは、かなりたいへんです。でもこの教育方法を組み立てられたら、たぶん幸せになる人がいっぱいいると思うんですよね。
根本的な本屋の仕事は、どこもそう変わらないので、この方法論の外側にそれぞれの会社や店のやり方をくっつけていくイメージです」

下田さんには、日々一緒にいて担当ジャンルの知識を指導してくれる存在はいなかったが、お世話になった先輩はいた。

「僕は学生時代、古本にばかり興味が向いていて、最新の状況がどうなっているかをあまりおさえていなかったんですね。その先輩は、首から上も下もどっちも動く、処理能力が高い人で、新刊書店で最新の情報をおさえる術をもっていました。新刊書店員って、こういうことかって思いました」

ジュンク堂書店は、「駅から1.5等地くらいの場所に位置して誰でもアクセスしやすく、蔵書量が図書館的にあって、行けばとりあえず一通りのことは調べることができる」ことをビジネスモデルとしているという。

「当時よく言われたのは、多面出しするなということでした。つまり、一冊の本を集中的に売るんじゃなくて、インフラになれっていうことなんだろうと僕は解釈したんですね。そこに行けば検索できて、来た人が自分に必要なものをピックアップできるような状態をつくる。世の中のことを勉強できる社会のインフラであるのが、本屋の良い側面なんだと」

下田さんは、2016年に立川店の店長となる。ワンフロア1000坪という巨大な店だ。フェアやイベントの企画を立てたり、仕事の内容も自由度が高かったが、2年後の2018年に退社。自分の店をもつべく、準備にとりかかる。

「大きい店じゃなくて、小さい店がやりたい、という気持ちからではないです。結果的に小さい店になっているだけで、小さくあらねばと思っているわけじゃない。自分で選択できる領域をつくらないといけないというのがまずあって、僕の場合はこの選択だったという感じですね」

2015年ごろから、下田さんは意志的に行動して、何かを表明するやり方を模索しはじめる。ものの考え方が変わるきっかけがあったのだ。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。