18歳の春まで福井で暮らした。
父は読書家で、家には夏目漱石や高橋和巳の全集をはじめ、大江健三郎、黒井千次、堀田善衛、柴田翔といった作家たちの本が、壁一面の本棚にぎっしり詰まっていた。給料日はすこし帰りが遅く、福井大学の生協でじっくり選んで買った本を抱えて満面の笑みで帰ってくるのだった。
当然の流れとして、両親は惜しみなく娘に本を買い与えるのだが、そのほとんどが岩波書店の本で、幼少時のわたしは、「読書とは格調高く、襟を正して行うもの」と刷り込まれることになる。本棚にあった『漱石全集』の函に、軽い気持ちで油性マジックで落書きをして、この世の終わりかと思う勢いで怒られたことも、刷り込みに輪をかけた。あの怒りは当然だと今ならわかる。
かといって、わたしは父のような読書家にはならなかった。当時、熱心に読んだのは、家族3人でまわし読みした庄野潤三(『明夫と良二』がはじめだった)と藤沢周平くらいで、さらに熱を入れて読んだのは漫画で、『サスケ』(白土三平)、『パタリロ!』(魔夜峰央)、『BANANA FISH』(吉田秋生)。高橋和巳や大江健三郎には行き着かなかった。行き着けなかったというべきか。
わたしが通っていた高校は、福井駅から歩いて15分ほどのところにあった。自宅から駅まではバスで30分。駅前から自宅方面へ向かう路線のバス停は、ちょうど勝木書店という本屋さんの目の前だった。田舎のバスは本数も少なく、高校からの帰り道、ほとんど毎日その本屋さんへ立ち寄って、時間をつぶした。
自宅は山と川にはさまれた辺境の地にあり、徒歩圏内には「よろずや」という小さな商店があるだけで書店はない。高校に通うようになってはじめて、自分の足で書店に行くことができるようになったのだ。1時間に2本のバスを待つ時間つぶし、というよりは、立ち読みで時を忘れたといったほうがいいかもしれない。勝木書店はわたしにとって、はじめての本屋さんだった。
駅前の本店は当時、1階に文庫、雑誌、文芸、2階は哲学、法律、社会科学など、3階が学参とコミックで、巡回するのはおもに1階と3階だ。
1階の文芸棚では、村上春樹に出会った。父が美麗な函入りの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を買ってきていたが、冒頭部分、「エレベーターにただ乗っているシーンが延々と続いて話がちっともはじまらない」と早々に挫折していて、読書家の父にとってさえ難解な小説を書く人と思っていた。
だが、店頭でみかけた『村上朝日堂の逆襲』は安西水丸さんの絵の表紙で親しみやすそうだし、中身も読みやすい。というより、ものすごくおもしろい。襟を正さない読書の初体験である。エッセイの話題も、青山通りでVANのコットンスーツを買ったり、神宮球場にヤクルト・スワローズの試合を観に行ったり、ウィットに富んだ比喩がちりばめられたりしている。これが東京だと思った。夜、ネオンや街のあかりが雲に反射して金色に輝いている新宿というところへ、行ってみたいと思った。
3階では、参考書をみるふりをしてほとんど漫画を読んでいた。当時はシュリンクがかかっていないから読み放題である。友人と一緒に来て、ただひたすら無言で立ち読み、「わたしは『BANANA FISH』買うから、○○ちゃんは『ぼくの地球を守って』買って、交換しよう」というような契約を結んだりした。隣の学参売場では、ときどきは参考書も買ったし、大学受験のときには過去問が載っている通称“赤本”を、受験する大学・学部の数だけ買った。3階のフロアは、壁に沿った棚と中央の平台というシンプルなレイアウトで、とくに漫画の巨大な平台に縦横みっちり美しくカラフルな表紙が並ぶさまは、大波小波がうちよせる浜辺のようだった。
運良く東京の大学に入って福井を離れると、勝木書店からは足が遠のいた。福井へ帰ってきたときも、駅と実家を行き来するだけで立ち寄ることがないまま時が過ぎる。
ふと思い立って店に入ってみたのが4年前。棚の配置、カーブした階段、鈍く光る木の手すり。あまりにも当時の記憶のままで、いきおい3階にかけ上がり、漫画の平台の前で涙ぐむ。本屋さんは、いつもそこにある。いつもそこにあることが、ありがたい。
以来、福井へ帰るたびに立ち寄るようにしていた。
だが2018年7月、ツイッターでこんなツイートが流れてきた。
ーー実は駅前の再開発にのまれて、店の存続があやしくなってきています。作家の皆さんに図々しいお願いです。盛り上げるためにサイン色紙をください。壁一面埋めたいと思います。店をなくさないように、福井の人からより一層愛される店になるように、色々やっていきます。
勝木書店本店の店長のツイートだった。
経過をみていると、作家さんたちが色紙を送ってくれている一方で、ツイッターの常として炎上もしている。わたしは、自分の“はじめての本屋さん”として、話を聞きたいと思った。炎上とか、再開発とかの前に、勝木書店でいま働いている人の話を聞いておきたい。
9月、よく晴れた日、店長の海東正晴さんを訪ね、2日間にわたってお話を聞いた。