東京の新宿区中井に『伊野尾書店』という街の書店があった。
創業は1957年12月。東京タワーが開業する前年のことだ。当時、家業が材木店だった伊野尾信夫さんは、大学を卒業してすぐに転業を決意、中井の商店街の一角に書店を開く。とはいえ、書店経営のノウハウをどこかで学んだわけではなく、試行錯誤の日々が続いた。次男、宏之さんが産まれたのは1974年。宏之さんは大学を卒業したのち、1999年に家業を継いで店長になる。
街の書店として、雑誌や実用書、小説、コミックと絶妙な品揃えのバランスで、地域の人たちの生活に寄り添い、人文書やノンフィクションの選書には少なからずファンが付き、トークイベントだけでなく、「本屋プロレス」「本屋野宿」「本屋焼肉」といった唯一無二のイベントを開催したりした。
だが、2025年6月、今後長期的に経営を続けていくことは難しいと判断し、宏之さんは2026年3月末で店を閉じることを決めた。
そして同じ場所で、出版社・出版流通代行会社である「トランスビュー」がオーナーとなり、『BOOKSHOP トランスビュー 大江戸中井店』が、装いも新たに6月16日に開店、宏之さんは店長に就任した。
わたしが『伊野尾書店』を初めて取材したのは、2008年に開催された「本屋プロレス」に衝撃を受けたからだった。その名の通り、書店内外でプロレスをするのだが、本棚は無事なのか、そもそも本は傷まないのかという心配はよそに、プロレスラーたちの見事な仕事ぶりに惚れ惚れした。一方で書店店主としてあまりに賭けが過ぎないかとも感じ、話を聞いてみたいと思った。それで取材にうかがったのだが、一応書店紹介の体の記事だったにもかかわらず、ほぼプロレスのことしか書かなかったため、「ほんとうにこの記事でいいんですか……?」と伊野尾さんを不安にさせたのが、出合いである。
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伊野尾宏之さんは、商店の子どもとして育った。
「店は商店街に面していて、カメラ屋さん、花屋さん、生鮮食品は置いてない食料品店とか、いろいろなお店があって、そこの子どもたちがいっぱいいました。宮本常一が『忘れられた日本人』のなかで、昔の日本はコミュニティで子どもを育てたみたいな話をしていたと思うんですけど、まだそれが残っていたと思う。育てるというほど育ててはいないんですが、商店街の大人たちは、あれはカメラ屋の子どものえいじだ、花屋の子どものかずおだっていう認識なんで、カジュアルに声かけてきたり、場合によっては怒られたり。子どももコミュニティの一員で扱われる。そういう昭和の時代でした」
家のつくりは、店舗と住居がつながっていた。商店街に面した店舗部分の奥に、六畳くらいの「茶の間」があり、「茶の間」の端には、書店部分のレジカウンターの後ろにつながる小窓があって話ができる。かといって店の方に行くと、ゆるやかに追い返されていた。
「店に入って棚の本を眺めるようになるのは、小学校の途中くらいからです。あいかわらず追い返されるんですけど、雑誌は茶の間に持っていって読むようになりました。ほんとうは『キン肉マン』とか『こちら葛飾区亀有公園前派出所』などのコミックの単行本を読みたいのに、売りものにならなくなるって父親に怒られて。雑誌は一度読んでもそこまで見た目が汚くならないからじゃないですかね。それで『コロコロコミック』『週刊少年ジャンプ』を読んでました」
店とはいえ、自分の“家”にあるマンガ雑誌を自由に読むことができるのは夢みたい、と傍で聞いていると思う。
「夢とは思っていなかったですね。そういうものだ、くらいにしか思ってない。父親は、自分の店で扱っているものは店の商品で、店側の人間が手を出してはいけないっていう思いを強く持っていた気がします。だから読ませてくれないし、買ってもくれない。いつも持ち出す話が、落語の『花見酒』」
男ふたり、金はないが花見がしたい。そこで花見をしながら湯飲み一杯の酒を五銭で売って儲けようとする。酒屋で酒と酒樽と五銭を借りて向島へ歩き出すが、どうにもたまらず片方が一杯飲み、もう片方に五銭を払う。もう片方も飲み……と同じ五銭をやりとりして酒だけがなくなっていく、というのが『花見酒』だ。
「その噺をいつも聞かされて、本を売っている人間が自分の店で本を買うとはなにごとだ、という。子どもだからよくわからなくて、ダメって言ってるからダメなんだと思ってました。それに、本がたくさんあるところで育っているんで、本が良いものという意識もない。中学生くらいになってから、マンガ読み放題なんていいよなーって言われて、そうなのか、でも読ませてもらえないんだけどって」
中学生になると、いろいろ理由をつけて、店の中をうろうろするようになった。そのころに発見したのが『週刊プロレス』だ。
「幼いころから、テレビで放映されているプロレスを父親の横で観てました。小学校5年生くらいのときに『キン肉マン』ブームがきて、教室でテリーマンの真似したり、キンケシブームもきて、アニメも始まり……っていうなかで、今でも付き合いのある、たけし君がプロレスってほんとうにおもしろいからって、テレビ東京で放送していた『世界のプロレス』という番組を教えてくれたんです。で、ハマっちゃったんですね。でも当時は、プロレスの雑誌があるなんて認識がなかった。中学生になって店で『週刊プロレス』を見つけて、なんだこれはって。知らないことがいっぱい書いてあった。そもそも、ひとつの大会では8〜10試合あるのに、中継は後半の3試合くらいしか放送してない。じゃあ映っていない試合に出ているのはどんな人たちなんだとか、プロレスの自主学習が始まりました」
当時、プロレス雑誌は『週刊プロレス』(週プロ)と『週刊ゴング』の2誌があった。
「『週刊ゴング』も読み始めましたけど、ゴングは起きたことをそのまま伝えるジャーナリスティックなところがありました。フラットに結果を伝える。週プロは、記者が主観で書くので、たとえ観客が満員でも、記者の人がつまらない試合だと思ったら断じる。そういう独善性というか、主体性の強さがありました。主観がいっぱい出てくるから、今週は何が書いてあるんだろうって惹かれちゃうんですよ。両方読んでいたけど、週プロのほうを楽しみにしてました。批評というものを学んだ気がします」
こうして伊野尾さんのプロレス街道が始まった。