パリから帰ってきた加賀谷敦さんは、自分の店を開くための資金を稼ぐことや、何かしらの知見を得られるのではと思い、ウェブ広告の会社に就職した。だがやはり店に直接関わることをしなければと、ほどなく退社。2017年12月、秋田のゲストハウスで働きはじめる。
「パリのシェークスピア&カンパニー書店で、店の手伝いをすることで作家志望の人に宿泊場所を提供していたのを見て、宿がついた本屋をやりたい気持ちが出てきたんですね。場所は、太宰が好きだったこともあって青森でやりたかった。各地を旅して、作家が集まるコミュニティや、なんらかの磁場がはたらくような場所の文化に興味をもち始めて、そういうところで店を開けたら、地域と店でどんな相互作用が生まれるだろうって思ったんです」
「なんか、いつも行動が突拍子もないですよね」と加賀谷さんは笑う。青森で店をやるなら、雪国で暮らしたことがなかったから、冬を体験しておきたい気持ちもあった。“宿”と“雪”、目指す店のための大事な下積み経験だ。
ゲストハウスは秋田県の内陸、横手にあった。横手は母の実家でもある。バルも併設していたから地元の人も訪れるし、海外からの宿泊客も来る。掃除や布団の準備など宿の仕事にくわえて、バルでお酒をつくったりもした。
「横手は豪雪地帯で、ちょうどその年は雪がすごくて、とにかく雪寄せがきつかったです。このゲストハウスで初めて、生活する環境がまったく違う方々を相手に接客することになったんです。大学生のときも接客業のバイトはしていたけど、ここでは自分がこれまで経験したことがない生き方、自然と共に暮らしてきた人たち、海外からお越しの方ももちろんいらして、使う言語が違う人たちと毎日やりとりするので、学ぶところが多かったです」
加賀谷さんは、ひと冬、横手で働き、翌2018年3月に浦安の実家に戻った。
引き続き、開店のための自己資金を稼がなくてはならない。次に見つけたのが、会員制コワーキングスペースのスタッフだった。24時間営業で夜勤も募集していた。
「館内には新刊本を置いていて、その場で読むこともできる上に販売もしていました。リモートワークをしている人たちが作業するスペースなので、本を読んでいる人は少なかったんですが、本の整理や棚卸しをすることで、最近出版された本の流れがわかってすごくよかったんです。新刊書店で働いたことがなかったので、いい体験でした。夜勤での仕事だったので身体はきつかったんですけど、自分の店をやるためというわかりやすい筋道があったので、ただ無心に働きました」
当時は青森で店をやるつもりだったので、ときどき休みをとっては現地を訪れ、物件を探していた。
「青森市か弘前市を考えていました。どういう人たちが暮らしているのか、街並みを見て歩き回ったり、いろんな店にお邪魔したり。青森は…白いんですよね。雪のイメージもあるんですけど、北国独特のきりっとした空気がそう思わせたのかもしれません。酒場にもよく行きましたけど、若い人たちも津軽弁で話していて、地の食べものや言葉が根づいて生きている。本当にいいなあと思いました」
だが、土地のことを知れば知るほど、自分はなじめないかもしれないと感じ始めてもいた。
「青森でやる! と勇んだはいいものの、やはりどうしてもわたしは外から来た人間なので、うまくやっていけるのかという不安もありました。“好き”という気持ちはあるけど、それは“合う”とは違う。“好き”は一方的な思いですよね。たぶん具体的なイメージができていなかったんだと思います。物件がすぐ見つからなかったのも、きっとそういうことなんだろうなって」
青森に行くたびに、市内の「らせん堂」という古書店に、よく立ち寄っていた。
「店主の三浦さんには、青森や店の話を聞いたり、とてもお世話になりました。そうこうして青森を行き来しているうちに自分のルーツについて考えるようになったんです。太宰が好きっていうのもルーツのひとつではあるんですけど、葛藤が生まれてきてしまった」
そんな折り、自宅の本棚にあった『愛の詩集 室生犀星詩集』を手に取る。「小景異情 その二」の冒頭
ーーふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
が目に止まった。
「はっとしたんですね。当時、自分のルーツはどこなんだと自問自答していたときに、これまで自分が出合ってきた人たちや親しんできた環境が、今の私を形作っているのかもしれない、と気づいたんです。これまで、東京のどこかで会ったり関わってきたりした人たちのことを思った」
このことをきっかけに、加賀谷さんは室生犀星の詩を読むようになる。青森ではなく、東京で店を開くかもしれないというときに、青森の「らせん堂」で一冊の本を手に取った。
「そのときすでに犀星に傾いていたので『馬込』という言葉に惹かれたのか、装丁の美しさか、あるいは三浦さんにおすすめの本として差し出されたのか、ちょっと覚えていないのですが、『馬込の家』(龜鳴屋〈かめなくや〉・刊)という本が決め手となりました。著者の伊藤人誉は、戦時中に犀星が軽井沢に疎開している間、馬込の家で留守番をしていた人なんですね。縁を感じるこの本を、ここでこのときに、という驚きと同時に、ある種の決意を覚えました」
この小さな奇跡を経て、加賀谷さんはかつての馬込文士村で店を開くことを決めた。お世話になった青森に申しわけない気持ちもあったが、古本屋をやるならここしかない。
2018年の秋、大森で物件を探し始めた。