『七月堂』は、2023年、創業50周年を迎え、後藤聖子さんは2024年1月に取締役代表社長をお母様から引き継いだ。
「継ごうと決めたのは2年ほど前です。母は、自分で会社を閉める気がなさそうだったので、閉める作業も引き継がないといけないなと思ったんですね。出版社は、解散して精算するのに3〜5年くらいはかかることもあるんですよ。いろいろなところに配本されているので、その回収と支払にも時間とお金がかかるんです。創業50年のときに、会社を閉めるか、閉めないならどこまで突っ走るかを母と相談したんですが、いま閉めるのは違うと思いました。西尾勝彦さんの本も出版して間もないし、これまで出してきた本が、ある日急になくなる可能性があるというのは忍びないなと思って、覚悟を決めたんです」
『七月堂』を引き継ぎ、お母様をサポートしつつ、後藤さんにはやりたいことがあった。
「自分のリトルプレス、ひとり出版社を立ち上げたいと思っていました。今の仕事を続けながら、コンパクトに活動できるものをつくるのもいいかなと」
2023年、後藤さんは各地で開催されている本のイベントに積極的に出店した。
「5月には群馬の前橋で開催された『敷島。本の森』に参加しました。このときに七月堂で出版した本だけを持って行ったんですね。他の出店者さんたちは古本屋さんなんですよ。うちは新刊で、税込みで値引きもしないと決めていたので、売れるのか不安だったんですけど、すごくたくさん手に取っていただいたんです。いろいろな作家さんをまんべんなく。初めて詩集を買うという方も多くて、よく質問されたのが『詩ってどんなときに読んだらいいですか』。わたしは読みたいときに読んでいたから、いつだろう? って考えてしまいました」
根本的な質問をされてはじめて、我に返って気づくこともある。
「小説などのほかのジャンルと比べたとき、詩の特長は短く完結していることですね。かといって内容が薄いわけではなく、悠久の時間がぎゅっと凝縮されているから、疲れているときでも“読む”という実感がほしいときにおすすめです。削いで削いで綴られている言葉だから、読み応えという点では決して軽いものではないし、よくわからなくても、そのわからなさがおもしろくなってくると楽しい。
あとは、結論がない。読者の解釈の自由度が高く、浅く読めば浅く返ってくるし、深く読もうとすれば、どこまでも深く読めるというジャンルだから、読者に合わせてくれるところがあります」
そんな話をしながら、通勤時間や就寝前に読むことをすすめてみると、知らない作家さんの本でも選んで買ってくれるお客さんが多かった。結果、イベント2日間で90冊近く売れた。店で売れる数の1〜2カ月分だった。
「衝撃でした。自分の怠慢だった、と。詩はわかりにくい、読んでもらえないって自分で諦めていただけで、届けるべきところに届いていなかっただけだったんだと気づいたんです。店に帰ってきて、スタッフと話して、それまで奥にあった七月堂の本の棚を、真ん中に持ってこようとなって、急な残業になりました。棚の位置を変えて、店に入ってきてすぐの目につく場所に、七月堂の書籍を置くようにしたんです。なんで今までそうしてなかったのか」
当然の成り行きではあるが、自社出版の本たちを、お客さんに手に取ってもらえる機会が増えた。自分たちがつくった本なのに、控えめ過ぎたといえる。
「よかったら見てね、くらいの気持ちだったんですけど、よかったらじゃないんですよ。お客さんにも、なんで自分たちの本をもっと前に出さないのかなと思ってたって言われて。いやー言ってほしかったなーって」
『七月堂』で出版しているのは9割が詩集だが、近年、詩・短歌・俳句を合わせた詩歌の人気が高い。書店でも詩歌の棚が広くなってきているし、国内有数の文学作品即売会である「文学フリマ」(文フリ)でも、回を重ねるごとに詩歌の出店が増えている。後藤さんが話すように、短くとも読み応えがあり、解釈の自由度が高いことで、親しみやすいジャンルになってきているのかもしれない。何かを表現したい人たちにとっても、広く門が開かれているともいえるだろう。
後藤さんは文フリにも出店し、詩歌分野の盛況を目の当たりにした一方で、感じたことがあった。
「詩は他ジャンルと同じような規模の商業出版にはなりえないけど、それがいいんだなと思いました。どこか暗いところで、ふつふつうごめいている。七月堂を続けていくためには、詩集や詩に商業的なものを結びつけないといけないのかと思っていたんですけど、それだけではないなと。難解さのなかには、時代を超えた長い時間に耐えうる強度も、必要とする人がいなくならないという普遍性もある。大勢の人には読まれないからこその、閉ざされた世界の良さや存在を大切にしていきたいと思い至り、七月堂のZINEを発行しようと思いました」
取材時には、発行に向けて準備中だったが、2024年5月に創刊号『AM 4:07』が発売された。今後、年に3〜4回、4年ほどかけて、全12冊を出版予定だ。
「版元って、詩と日常をつなぐ存在ですよね。七月堂のZINEで、詩集だけじゃなくて、詩人が書くエッセイを読んでもらうことで、すこし違う角度から詩を身近に感じてもらえないかなと思ったんです。詩と日常の“間”のものを、うちがつくることは、すごく大事なことなんじゃないか、と。あとは、書店さんとも連携したい。七月堂の本は、手に取って見てみないとわかりにくいと思うので、書店さんの存在はとてもありがたいんです。詩集を置いてくださっている書店さんのことをもっと知ってほしくて、書店店主の方にも原稿をお願いしています。社内で印刷して、切って折るのは製本屋さんにお願いするとしても、できるだけ自分たちでつくりたい。これは会社を継ぐことになったときに、詩を読んでもらうにはどうしたらいいか、考えたことのひとつなんです」
この後藤さんの話を聞いたとき、ご両親が七月堂を立ち上げたときの話を思い出した。中古の印刷機があれば同人誌が作れると印刷業を始めたこと、函入りの詩集を家族で組み立てたこと。その光景が、後藤さんがZINEを作ろうとしている姿に重なる。
創刊号が出来上がったとき、後藤さんからメールをいただいた。
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今回印刷も製本も自分たちでやってみようと思ったのは、500部くらいの本だったら、自分たちで作ることができる、それさえ確認できたら怖いものはないのではないか?
むしろ、世の中の資本的な流れから距離を置いて、自分たちのやりたいことを自分たちの歩幅で進められるのではないか?
それを確認してみたかったのです。
父と母が印刷屋から始めていたからこそ、本を作る実際的な作業が業務に組みこまれていて、自分の作りたい本を誰かの都合に振り回されることなく予定していけるのだな……作っていてずっとそれに感謝していました。
父が中古の印刷機をどこかからもらってきて「これで同人誌がタダでつくれる」と言ったこと。
自分で自分の人生のハンドルを握るための大事な選択だったのだと痛感しました。
父が亡くなってからずっと、経営にまつわる仕事のことは、記憶のなかにいる父に相談しながら進めていますが、このZINEの発行も、きっと喜んでくれただろうと思います。
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現在、『七月堂』は社員が2人、パートが5人、日常的に関わっている外部スタッフが5人、スポットでヘルプに来てくれる人が何名か在籍している。
「会社を継ぐと決めたときに、どんな場だったら自分はがんばれるかと考えて、スタッフのみんなが生き生きしていることだと思いました。社会や政治が最低であっても、会社だったら手が届く範囲で関わる人に対してできることがあるかもしれない。スタッフはいま、詩人やミュージシャンが多いんですけど、雇用形態や出退勤の枠にとらわれず、創作活動をしながら生活費を稼げる場所になれたら、会社としても刺激になるしおもしろいと思うんです。自分の経験からいっても、やる気があるのに選択肢が狭くて、お荷物になってしまうのは苦しい。いろいろな事情がある人が、いろいろな働き方ができる会社にしたいと思ってます」
後藤さんの話を聞いている間、ずっと太陽を感じていた。お母様に連れられて家出した先の宮崎の夕陽、お父様が亡くなったときの桜吹雪の陽光といった風景だけでなく、「アヴェマリア」を歌ったとき、西尾勝彦さんを語るとき、情熱が満ち満ちる瞬間には、インタビュー場所である事務所に光が差し込んだ気がした。
この連載の第1回目の冒頭に「後藤さんの太陽な部分に助けられた一方で、太陽じゃない部分もあるだろうなとも感じた」と書いた。それはただの直感だったが、実際に相対して感じたのは、「陽が当たらない部分がある」というよりは、後藤さん自身が世界の陽が当たらない部分にも視線を向け、そのことを忘れずに積み重ねてきている、ということだ。この積み重ねは、堅牢で懐が深い。後藤さんの太陽は、場末をもあたたかく照らしている。