googleブックの問題と衝撃(長いです)。
今さらながらですが、googleブックについて。
試したことがある人にとっては、もう十分すぎるほどわかっていることだと思いますが、
これ、ほんとに、すごいです。
版元や、一消費者の観点を越えて、ただただ、驚いてしまいます。
たとえば、夏葉社と少し関係がある(名前だけですが)、
作家の「瀬沼夏葉」を検索すると、158件の書籍がヒットします。
つまり、「瀬沼夏葉」に言及している、158冊の書籍のタイトルと、
その掲載ページが、コンマ何秒でわかってしまうのです。
(そして、うち4冊のかなりの部分を、実際に読むことができます)
もちろん、すべての書籍をgoogleが網羅しているわけではないですけれども、
2009年1月5日以前に刊行されたすべての書籍がその対象となっているわけで、
そのカバーする範囲は、日々、広がっていくことになるでしょう。
消費者や学生にとって、こんなに便利なものはありません。
が、著者、版元にとっては、メリット、デメリットの双方があります。
メリットは、埋もれていた書籍に光があたること。
デメリットは、………… これは、下記のように長くなります。
そもそも、一連のgoogle訴訟は、アメリカではじまり、アメリカで
和解・合意したものです。
それがなぜ、日本で問題になり、なぜ日本でもまかり通っているのか。
軸になるのは3点です(3点もあるから、わかりにくいのです)。
① 「集団訴訟(クラス・アクション)」。
集団訴訟とは、薬害問題や、欠陥品保障など、当事者が多い場合に
用いられる訴訟方式で、その判決結果は、すべての利害関係者に対して、
効力をもちます。
googleブック訴訟の原告は、アメリカ作家協会とアメリカの主要出版社5社であり、
彼らは、日本ではなじみの薄い、「集団訴訟」という形で、googleと対峙しました。
② 「ベルヌ条約」。
世界各国は著作権を自国の法律によって保護していますが、国を越えて、たとえば、
日本では著作権が守られていても、他国では守られない、という事態を避けるために、
それぞれが、ベルヌ条約に加盟しています。
そして、信じられない話なのですが、①の「集団訴訟」での合意結果は、
②の「ベルヌ条約」加盟国の範囲に及ぶのです。
③ 「フェア・ユース」。
googleは、今回の訴訟以前より、一貫して、googleブックが「フェア・ユース」であると、
主張しています。
「フェア・ユース」とは、私の理解する限り、著作権法の引用の原理に基づいており、
つまり、「報道、批評、研究など」の正当な目的で、書籍を引用する場合は、
原作者に対して許可をとらなくてもいい、ということが前提になっています。
つまり、googleが無断で700万冊(!)もの書籍をスキャンし、すべてのユーザー
に対して、公開するのは、「報道、批評、研究など」に貢献するためなのだ、というわけです。
だから、googleは、問題が解決する以前から、独自の判断で、「googleブック」を始め、
それを今もなお、継続しているのです。
長くなりましたが、ここからが、本題です。
正直に言うと、googleブックのやっていることは、小社のような小さな出版社にとっては、
デメリットより、メリットのほうが大きいです。
販売チャンスは増えますし、ひとりで企画・編集をするうえで、こうしたツールの存在は、
時間とお金の節約になります。
けれど、本の未来を考えると、そうとう、怖いです。
1冊の本は、文字通りデータに解体され、情報の束になってしまいます。
必要なところだけ読み、必要なところ以外は知らない。
それは、読書ではありません。
読書のおもしろさは、そんなところにあるわけではありません。
1冊の本が創り出す、その全体像にこそ、本の価値があります。
こうした、語るのに難しい本の魅力は、googleブックなどの興隆によって、
ますます共有されなくっていくのだと思います。
本の面白さを知らない人は、本を買いません。
コピー&ペーストで終わりです。
それが危機以外のなんでありましょうか。