写真展 「太宰治の肖像」
太宰治が好きです。
そんなに熱狂的というわけではないのですが、
好きです。
ひとりの作家とひとりの読者との関係の濃さ。
言い換えれば、この作家はちゃんと分かっている、
ないしは、私はこの作家の言いたいことがよく分かる。
そうした虚構を通して築かれる信頼関係は、たぶん、
青春時代特有のものです。
作家を尊敬するというより、ほとんど対等で、
太宰先生というより、絶対に、「太宰」。
高校生のころから、その語り口に魅せられてきました。
そんな太宰の写真展。
悪いはずもありません。
会社からけっこう近いのです。
見たことのない写真も何点かありました。
太宰は身長が176センチもあったそうなのですが、
今回初めて見た写真で、それを想像することができました。
太宰のお墓(森鴎外のお墓も)がある禅林寺も近いです。
12月23日まで。
すごく、お勧めです。
ちなみに、「ひとりの作家とひとりの読者との関係の濃さ」
という点において、太宰治と村上春樹はよく似ている、
と思っています。
月: 2009年11月
夜の図書館
夜の図書館
仕事柄、よく図書館に行きます。
ネットではわからない情報はもちろん、
ネットで見るだけではどうしても物足りない、
本の質感といいますか、量感といいますか、
そういうものを実際に確かめたいがために、
せっせと、自転車のペダルをこぎます。
事務所から一番近いのは、ヨドバシカメラ裏の、
吉祥寺図書館。
平日は夜の八時まで開いているので、とても便利です。
私は、夜の図書館で、調べものなんかをしていると、
なんだか、とても馬鹿みたいなもの言いですが、
ああ、大人になったんだなあ、と思います。
子どものころと違って、いろんな本に興味があり、
いろんな本を手にとり、それをゆっくりと楽しむことができる。
そんな時刻は、やはり、昼や、夕方ではなく、
静かな夜のほうが似つかわしい。
あくまで、個人的な意見ですけれども。
それに、帰りに、コンビニでチョコなんか買ったりしますけれども。
テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人
テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人
人並みに、サッカー観戦が好きです。
好きだからこそ、テレビで試合を観ていると、
ああ! とか、もう! とか声をあげてしまいます。
なぜ決められないんだ。
なぜパスを戻すんだ。
モヤモヤがたまります。
なぜそうなるなのか、どうすればこの局面が変わるのか、
もっと言えば、どのような長期的な視野に立てばチームは
こんなミスを犯さずにすむのか、それらを論理的に理解できれば、
このモヤモヤも幾分かは解消されるのかも知れませんが、
語る言葉を知りません。
そこで、この名著です。
昨日読み終えたばかりなのですが、この本は、目からウロコです。
「サッカーを要素還元主義的に細分化せずに、
サッカーをサッカーのままトレーニングする」
この本の骨子は、これです。
つまり、決定力をあげるとか、パスの精度をあげるとか、
トラップを上手くするとか、一対一の勝負をするようメンタルを鍛えるとか、
そうした、部分的な各論には意味がないんだ、と作者は言っています。
サッカーはサッカーをすることで、つまり、サッカーの試合を数多く経験することで、
初めて上手くなるもので、そこが、いや、そこだけが、日本と海外の大きな差なのだ、と。
作者がコーチとして指導したスペインでは、毎週、なんらかの公式戦があります。
試合を通して、少年たちは、サッカーに必要なテクニック、インテリジェンスを
学びます。
加えて、試合に出られない選手が存在しないよう、大所帯のチームは、
チームをいくつかに細分化し、選手を試合に出させます
しかし、日本ではそうではありません。
年に数回の試合のために、彼らはひたすら練習をしますが、彼らには、
試合に出れるかどうかの保証すらないのです。
試合をする国民が多い国と、試合をする国民が少ない国では、どちらが強いのか。
考えるまでもありません。
「要素還元主義的に細分化せずに、○○を○○のまま」
これは、サッカーだけに当てはまらない、素晴らしい見識です。
たとえば、私は大学時代に、恩師から、小説が上手くなりたいなら、
とにかく1本でも小説を多く書ききることだ、と学びました。
技法や、プロットや、描写力などを、個別に磨いても小説は上手くならない。
小説を書ききることで、初めて、小説とはなにかがわかるのだ、と恩師は言っていたのです。
読書も、たぶん、同じです。
とにかく1冊でも多く本を読むことで、本とは何か、読書とは何かが、
頭だけでなく、身体でも理解できるのだと思います。
左の reccomend について
左の reccomend について
左の reccomend には、最近読んで面白かった本を
掲示しています。
小社の本が出来上がれば、それをドーンと載せるのですが、
出来上がるまでは、すいませんが、これで。
ちなみに、いま掲示している 『くまのテディ・ロビンソン』は、
低学年向けの、児童文学です。
動かない、ぬいぐるみのままの、『くまのプーさん』といいますか。
子供が子供の想像力で、ぬいぐるみと対話するという、
なんともかわいらしいお話です。
良い児童文学の中には、良質な小説と同様に、喜びがあり、
悲しみがあり、残酷さがあり、純真さがあります。
そうしたものにこそ、何度も読まれる本のヒントがあるような気がしています。
上手く言えませんが、良い本のなかには、全部があります。
逆に言えば、悪い本のなかには、なんにもありません。
私は本をあまり読まない子供でした。
幼少のころに読んだ児童文学のディテールを、
友人たちがなつかしそうに語るのを聞いていると、、
心からうらやましく、そして、本っていいよなあ、と思います。