『インタートラベラー 神話と遊ぶ人』
鴻池朋子展
9月27日までですが、初台のオペラシティまで
見に行ってきました。
今日は比較的時間がありまして。
ええ。
すいません。
鴻池さんのお仕事は、澁澤龍彦さんや、川上未映子さんの
装画などを通して、聞き知っていたのですが、展覧会に行ったのは、
今回が初めてでした。
すごいです。
びっくりしました。
口がしばらく開いていました。
それがなぜであるかは、展示の関係上、言えないのですけれども、
とにかく、「鑑賞」ではなく、「経験」する展示です。
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想像力は歳をとれない。
想像力はいつでも子供のまま。
人間は子供だ。
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正確ではないですが、このような言葉が終盤にありまして、
深く納得してしまいました。
展示は、あと二日です。
興味がある人はぜひ!!
「宮崎駿」の深部と共鳴しています。
月: 2009年9月
庄野潤三さん。
庄野潤三さん。
21日、戦後を代表する作家である、
庄野潤三さんが亡くなりました。
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「イギリスだったか、アメリカだったか忘れたけど、ひとりの少年があひるの卵を見つけたの」
小学校二年生になった男の子が、風呂の中で父親に話している。
「どこで見つけたんだ」
「知らない」
「どこで見つけたんだろう。野原?」
「うん、そう」
「そばに小川が流れているようなところかな」
「そうかも知れない。その少年はね、何とかしてあひるの卵をかえそうとして自分のからだに卵をくくりつけたの」
「どの辺に?」
「この変に」
子供は自分のお腹の横に、両方の手を持って行って、大体の位置を父親に示した。
それは自分で考えたことなのだ。
1960年発表 『静物』より
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私は庄野さんのこうした何気ない描写が大好きでした。
子供が子供のままであるということ。
家庭を守ろうということ。
どこにでもある家族の風景は、作家にとって、
かけがえのない家族の風景でもありました。
読むたびに、私自身の、食卓でのあれこれや、
身近な風景を思い出します。
「珠玉」という言葉が似合う作品が、数多くあります。
一読者として、ありがとうございました、と言いたいです。
庄野さん、ありがとうございました。
寝不足の弊害。
寝不足の弊害。
もろもろの雑務で、最近寝不足がちです。
通勤の電車のなかで本を読みながら脳をほぐす、
というのが、私の唯一の対策であり、習慣なのですけれども、
電車に乗るまでは、やはり、眠い。
どこかしら、覚束ない。
昨日は、駅の自動改札機に、SDカードを入れようとしていました。
こんなこと、いままでに一度もなかったので、本当にびっくり。
ああ、怖い、怖い。
そんなことをひとりごちながら、今度は、PASMOを切符の投入口に。
「すいませーん。間違えて入れてしまいました」
急いで出てくる、駅員さん。
本当に、すいません。
『スローフード大全』
少しだけ携わらせていただきましたので、宣伝です。
スローフードって。
ああ、ファーストフードの対義語で、ゆっくり食事を楽しもう、
って、あの、あれね!
たしかに、そうなんです。
でも、それだけではないんです。
言うならば、食の多様性とでもいいましょうか。
「ファーストフード」に代表される画一的な食生活だけじゃ、いかん。
私の理解では、つまり、そういうことです。
日本はどこへ行っても同じ景色ばかりだ。
よく聞く話です。
駅前にレンタカー屋、国道に出ると左にハンバーガー屋、右に格安衣料店、
まっすぐ走ると、家電量販店があり、ビデオレンタル店があり、青と黄色が目立つ、
なんとかOFFがある。
皮肉なことに、それは、私にとっては、落ち着く景色でもあります。
よく見知った風景と、よく知っている商品。
それと、納得できる価格。
けれども、それは、一方で危機でもあります。
均一な文化は、往々にして、巨額のお金によって成り立っているからです。
そして、もちろん、その背後には、消えていくたくさんの小さなお店があります。
『スローフード大全』が詳述しているのは、地域経済、伝統、生物多様性、食の喜び、
といった事柄です。
均一な食文化は、均一な味覚によって、ますます均一化していく。
それに断固として抗議するというのではなく、食をもっとよく知ることで、
多種多様な、豊かな食の世界を再発見し、保存する。
異議なしです。
フルカラーの大きな本です。
類書のなかでは、ダントツの情報量を誇ります。
そして、写真もきれいです。
ジュンク堂、紀伊国屋さんなどで、ぜひ!!
あっ!
最後に一言だけ。
あのジョン・アーヴィング氏が、寄稿しています!
ゴーギャン展へ。
ゴーギャン展へ。
早起きして、ゴーギャン展へ行ってきました。
過去二度しか、ボストン美術館から出たことがない、名作、
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
を見に。
結論からいえば、うむ、やはり、すごい。
しかし、でも、この絵に関しては、この題名が、なによりもすごい。
言葉に、グイグイ、引っ張られます。
「私」でなく、「我々」。
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
こんな強い問い、めったに出会えるものではありません。
しかし、個人的には、ゴーギャン展よりも、所蔵作品展に驚いてしまいました。
恥ずかしながら、東京国立近代美術館は、今回が初の訪問。
明治以降の、日本近代絵画がいかにおもしろいか。
大変勉強になりました。
鏑木清方、萬鉄五郎、靉光、等々。
村山槐多にも、会えました。
いい日です。
原稿があがるまで、あとちょっと。
原稿があがるまで、あとちょっと。
夏葉社の一作目、ようやく出口が見えてきました。
とはいっても、原稿だけで、周辺はまったく手つかずなのですが。
「夏葉社の本」の欄にも書いていますが、何度も、何度も、
読み返してもらえる本というのが、小社のモットーです。
油断するな、私。
今日は、ベテラン編集者さんが、ワインをお土産に遊びに来てくださいました。
ああ、ほんとに、ありがたいです。
なにせ、ひとりなもので。
ひとり酒の趣味はないのですが、本ができたときに、開けさせていただきます。
印刷等、もろもろ相談。
本の未来は明るいです。
レコード寄席覚え書き「春」
レコード寄席覚え書き「春」。
敬愛する円盤の店主、田口さんの本です。
「夏」も出ています。
知る人ぞ知る、というわけではなく、
いまとなってはだれも知らない
昭和のレコードについてのエッセイです。
なんでこんなもの、つくったんだろ。
そんな音の記録が100枚。
考えさせられるのは、どこに行きつくこともない多様性、という言葉です。
なにかと比して「多様」というのではなく、ただただ、「多様」。
他の人と違うことに価値があるのではなくて。
そんなのは、やっぱり、当たり前なわけで。
「世の中不景気じゃなくて、嫉妬にまみれてせこくなってるだけだと思う」。
ほんと、そのとおりだと思います。
奇妙奇天烈なレコードの数々、そうとうおもしろいです。
私、中央線のなかで、何度も噴き出してしまいました。
お買い求めは、円盤まで。
いろんなCDも売っています。
井の頭公園へ。
出版業界の現況
出版業界の現況。
出版不況と言われ続けて、ずいぶんと久しいです。
では、実際、どうなの? と言うと、数字で見ても、
やはり厳しいです。
2008年4月~2009年3月の取次経由出版販売額は、
1兆9950億円。
2兆円産業の看板も、(ピークは96年は2兆6563億円)
来年には通用しなくなりそうです。
では、いったい、何が原因なのか。
それは、やはり多くの人が指摘しているように、インターネットと
携帯電話の普及にあると考えて、間違いないように思います。
私が大学生のころは、何かを調べるためには、必ず、書店、
ないしは、図書館に行かねばなりませんでした。
ゼミの宿題をこなすために、『有斐閣経済辞典』を。
名画を鑑賞するために、『ぴあ』を。
デートを成功させるために、『tokyoウォーカー』を。
CDの新譜情報を得るために、『ミュージックマガジン』を。
少なくとも、私は買っていました。
(『tokyoウォーカー』が活躍する場面はほとんどありませんでしたが・・・)
しかし、いまはそれらがなくても、それほど困りません。
それが、この10年の歳月というものだと思います。
情報以上のなにか。
ないしは、情報を100倍輝かせるなにか。
さらに、明らかに蛇足ですけれども、
情報を圧倒的に凌駕する、すばらしいなにか。
本づくり、がんばります。
府中の法務局へ。
府中の法務局へ。
吉祥寺で起業する場合は、所定の書類をかかえて、
法務局府中支局まで行かなければなりません。
JRで武蔵小金井駅まで行き、バスで10分ほど。
なんとも、不便。
さて、ここからは別の話。
そして、本当にどうでもいい話です
(どうか遠慮なく読み飛ばしてください)。
昨晩、奇妙な夢を見ました。
私は場末の居酒屋であぐらを書き、有名なお笑い芸人や、
作家さんとともにお酒を飲んでいました。
そこへ、ひとりのマッチ売りの少年がやってきました。
少年は美しく整った顔で、そして、如才ないという表現が
ぴったりとくるような軽妙なトークで、著名人たちと対等に
会話し始めました。
私はそれまでそんな少年を見たことがありませんでしたから、
(なにしろ彼はまだ12、3歳くらいなのです)、お酒を飲むのも
忘れて、じっと彼の一挙手一投足を見つめていました。
普通なら背伸びにしか見えない大人顔負けの冗談や、
追従笑いを、彼はごくごく自然にこなすのです。
私は心の底から感心し、少年が店を出るやいなや、
店長に、あの少年は何者なのか、と尋ねました。
店長は、いたって満足そうに、
「あれはのちの楳図かずおさんなんですよ」
とこたえました。
なるほどねえ、やっぱり天才は子供のころから違うんだ。
私は納得して、またお酒を飲み始めました。
毎日、吉祥寺に通っているゆえ、こんな夢を見たのかもしれません。