第30回 10〜20代のころの体験 〜伊藤幸太さんの話(3)


 
 
 西荻窪の古書店「忘日舎」の店主、伊藤幸太さんは、1973年に神奈川県川崎市の百合ヶ丘に生まれた。
 
「両親は書評紙の編集者だったので、家に本がたくさんあったほうだと思います。特定の作家が好きというタイプではなくて、文学全集が多かったです。当時は全集を買うのが流行っていたし、ステイタスのようなものでもありました。ふたりとものちに新聞社に移って記者になるんですけど、そのせいか家庭内で政治や社会の話をよくしていた記憶があります」
 
 小学校から中学校にかけては、音楽が好きだった。
 
「小学4年生くらいのとき、ビートルズの『Here There and Everywhere』という曲に衝撃を受けました。タイトルも場所がはっきりしない感じで、その不思議な感覚に惹かれてずーっっとこの曲ばっかり繰り返して聞いていました。たぶん両親のどちらかが聞いていたテープが家にあったんだと思います。
 中学に入ると『FMステーション』という雑誌を買ったり、『ベストヒットUSA』を観たり、貸しレコードをカセットに録音して自作のテープをつくったり、洋楽にはまっていました。a〜ha とか、カルチャー・クラブとかです。でも邦楽も聞きましたよ。雑食です。アイドルには、あんまりいかなかったですね。寺尾聰が好きでした。実力派だし、すごく渋いなって」
 
 実力派といえば、ジュリーはどうですか。
 
「ジュリーは最高ですよ! そうだ、ジュリーにはすごくはまってました。思い出しました。テレビに出てきたら、帽子をこう…斜めにかぶって歌う真似したりして、原体験ですね」
 
 中学では軽音楽部に入り、2年生のときにはイシバシ楽器でギターを買った。
 
「なんでギターだったのかっていうのは……なんとなくですね。理由はなかった。独学だから、ほんと上手くないんですけど。初めて人前で披露したのは、中学の近くに養護学校があって、学校交流の一環で校庭で演奏したときです。ハウンドドッグの『ff (フォルティシモ)』。いやこれは先生が曲目を決めたからですよ」
 
 大学に入ると、黒人音楽をよく聞くようになる。なかでも、カーティス・メイフィールドの弾くギターに魅了された。インプレッションズというバンドのボーカル・ギターを担当するミュージシャンだ。
 
「彼のギターのスタイルが、いまなお自分にいちばんしっくりきています。『ピープル・ゲット・レディ』という曲が有名で、ジェフ・ベックとロッド・スチュワートがカバーしたりしてます」
 
『ピープル・ゲット・レディ』は、1965年に発表された曲で、アメリカの公民権運動を背景につくられている。差別に苦しむ黒人を静かに鼓舞する歌詞で、カーティス・メイフィールドのギターはどこか語りかけるような穏やかさと、耳を傾けずにはいられない切実さがある。
 
「大学当時は気にしていなかったんですけど、彼は公民権運動のときにしっかり発言していると思います。久しぶりに思い出して聞いているんですが、社会状況的にミュージシャンがこういう発言をするのは、いまのほうがよりリアリティを感じます」
 
 大学時代は、ひとりの時間が増えたこともあって、系統立てて音楽を聴くようになった。幼少期に衝撃を受けたビートルズを全部聴き、ローリング・ストーンズを全部聴き、そののちブルースを……と、ルーツをたどっていく。同時に、本もむさぼるように読み始めた。
 
「いま、この店の成り立ちについて考えると、大学以降に本が好きになったことと、もうひとつ忘れられないできごとがありました。
 中学、高校と一緒だった友人がいて、彼もわたしも浪人していたんですね。ある晩、ふたりで酒を飲んでいたときに、彼がすごく深刻な顔をしているんですよ。父親から言われたんだけど、俺ね、日本人じゃないんだって言うんです。つまり在日なんだっていうことを自ら言ったわけです。
 これには伏線があって、この日の1カ月くらい前に、原付で2人乗りをしていて警察に捕まったんですね。彼が運転していて、わたしは尋問に立ち会うって言ったんですけど、俺ひとりでいいから帰ってくれって、かなり強い口調で言うんです。あれは、免許証に記載されている本名を見せたくなかったんだって、それを涙ながらに話しました。これはなんだろう、この国ってなんだろうっていう問いが、わたしのなかではじめて生まれたときですね」
 
 そのとき、なにか言うことができただろうか。
 
「なにも言えなかった。自分も不勉強だから、そうかーとしか言えなくて。自分のなかでも整理ができていない。その後、大学に入っても、就職しても、ちゃんと話はできませんでした。わたしは一度、就職したのちに渡米して、そこでやっとアイデンティティのようなものに気がつくようになる。彼も、わたしよりすこし前にアメリカに行って、いまもそのまま暮らしているみたいです」
 
 自身のファミリールーツにくわえて、友人のひとことが、店づくりの根本にある。それは、本を多く読むこととはまた違った種類の体験として、伊藤さんの血肉となっている。

屋敷直子 Naoko Yashiki

1971年福井県生まれ。2005年よりライター。 著書に『東京こだわりブックショップ地図』(交通新聞社)など。