下田裕之さんが、勤めていたジュンク堂書店を退社したのは2018年2月。2016年に店長となった立川店が最後の店となった。大書店を辞めて自分の店を持とうと思ったのは、「自分で選択できる領域」を求めてのことだ。
「2010年代に書店員として働いていた間、考え続けていたのは、ネットが普及してきたことで、90年代的なメガストアにインフラとしてどんな役割があるのか、ということです。サラリーマンの立場の書店員には、会社の中にあるいろいろな事情やしがらみと戦いながら、考えたりがんばったりしている人はすごくいっぱいいます。ある程度の権限を持っていないと、会社の中で自由に動くことは難しいですから、しんどいなと思っている書店員も多いはずです。
僕自身は、大きな会社でたくさんの人の意見を聞いて回していくという能力がないと思っています。これはある意味、敗北宣言なんですけど、大きい会社を劇的に動かしていく力は自分にはない。それよりは、自分が言いたいことをアウトプットできる場所をつくったほうが他の人の役にも立つような気がしたんです」
下田さんが、そう思い始めたのは2015年ごろからだ。
安保法制(平和安全法制関連2法)が可決され(2016年施行)、この動きに対して、社会に目を向ける若い世代の集まりであるSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)が出てきた。
「僕は80年代サブカルチャーがすごく好きで、その好きなことについて調べたり本を読んだりすることと、社会で働くのは別腹という感覚でした。会社で仕事をする“表”と、趣味の“裏”は別の領域。でも、この表と裏の二層構造でやっていくには土台がないとできないわけで、その土台である社会がだいぶおかしなことになっている、と気づき始めたんです。
当時、インターネットで文章を書き始めてみたらリアクションをもらうことも増えて、自分が思っていることを趣味の領域に留めておくよりは、表に出したほうが他人の役に立つかもしれないという気がしてきました」
そうこうしているうちにも、社会情勢はどんどんひどいことになっていく。自分にできることのなかで、もうすこし意志的に行動したり、何かを表明したりできるやり方はなんだろうと考えた結果、下田さんは小さい本屋さんの道を選んだ。
「大きな会社をどんどん動かし回していくような人間だったらよかったんですけど、自分にはできなかった。だからせめて、小さい場所をつくったときは自分の責任や判断で、ものを言おうと思っています」
下田さんは自分の店を開く前、吉祥寺の「よみた屋」という古書店で働いた。お客さんとしては古書店になじみがあったが、働いたことはない。いきなり自分の店を立ち上げるには無理があった。
「『よみた屋』の澄田さんは『古本屋になろう!』(青弓社)という本を出していて、古本屋の開き方、経営、値の付け方、棚の作り方などが書いてあるんです。これを読んだら最低限、方法論が理解できる。まさに、僕が新刊書店で働いているときに、あったらいいなと思っていた書店仕事のメソッド化です」
独立することを前提に入社させてもらい、社員として雇われた。本には技術論的なことはすべて書かれていたが、実際にできるかどうかは別の話だ。澄田さんがお客さんのところに買い取りに行くのを後ろからついていって、実地を体験した。
「僕自身は理解も知識もまだまだですが、いた期間の中でみっちり現場の仕事を教えてもらったという感じです。現場に行って、お客さんとコミュニケーションをとりながら、見るべきところを見て時間内に値付けをするというのは、実際にやらないとわからないです。
これは僕の解釈ですが、古書の値付けは、自分の店に来るお客さんの顔ぶれとか、店でどんな本をどれくらいの期間残しておきたいのか、というのを関連付けて値段を決めていく。新刊書店でもそうでしたが、ある程度の体系が頭に入っていないと、いちいち調べていたら仕事が終わりません。古本の場合は調べても情報がなかなか出てこないことがあるから、経験が大事になってきます。澄田さんは、経験も積み重なっているし、市場での価格の知識など、参照点がすごくいっぱいあるんです。どんなボールがきてもぜんぶ打ち返すことができる」
新刊書店では値段が決まっている本を売る。古書店では自分自身で値段をつける。
下田さんのなかで、本を見る目が変わったりしたのだろうか。
「新刊書店では、理屈の上では、予算と権限があれば仕入れたい本が仕入れられるし、自分の意志を棚に反映させることができます。でも古書店は基本的に、他の人の本をいただいて並べるので、自意識なんて反映させられない。じゃあどこで変わってくるのかといえば、店主がどんな人と、どんなコミュニケーションをとるのか、だと思います。そのコミュニケーションの経過が、棚に反映される。
本を売ろうとしている人の動機は、必ずしも単純ではなくて、グラデーションがかかっているんですね。相手が何を大事にしているか、何を求めているかをくみとって、期待に応じたレスポンスを返せないと、だんだん人は離れていく。仕入れや棚づくりについては、ここがいちばん違うところだと思います」
コミュニケーションの経過が反映された棚は、日々変わっていく。ある日、奇跡の巡り合わせで最高の棚ができたとしても、それを保存することはできない。「ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水にあらず」。古書店の宿命ともいえる。
「自分が描いている構図をキープすることができない商売ではありますね。でもだからこそ、相互コミュニケーションを積み重ねて棚をつくっていくことで、社会に還元できる、社会のインフラとしておもしろい本屋さんができるんじゃないかと思っています。いろいろなやり方があるけど、いま自分が興味をもってやってみようと思ったことが、早春書店の形になっています。2015年以降、新しくインフラとしての本屋さんをやろうと考えた末の、ひとつの答えです」
新刊書店の書店員時代の葛藤や、社会情勢の変化を経て、自分の責任と判断で立ち上げた早春書店は、下田さんの“今”でもあり、“これまで”でもある。