加賀谷敦さんは、千葉県浦安市に生まれた。1993年のことだ。
「実家から自転車で20分くらいのところに東京ディズニーランドがあります。ディズニーシーは小学校に入ってからできました。海沿いの郊外で、チェーン店が多くて暮らすのに不便はないんですが、文化がないというか……郊外の街によくある風景だとは思うんですが」。
きょうだいは兄と姉、加賀谷さんは末っ子だ。家族を笑わせるような天真爛漫な子どもだったという。
「幼いときは図書館によく行っていました。『ぐりとぐら』とか、王道の絵本は図書館で借りて読んでました。『たこやきマントマン』ていう、五つ子のたこ焼きの戦隊モノがあって、幼稚園くらいのときはハマってましたね。絵本も読んでたし、アニメもあったんです。児童書に親しみはあったんですけど、秘密基地をつくったり、サッカーやったり、外で遊ぶことが好きなタイプだったんですよ。いまとは逆で、かなりはしゃいだ人間でした」
サッカーが好きで、小学校高学年のときに地元のサッカーチームに入り、中学ではサッカー部に入部する。
「このサッカー部は嫌な思い出しかないです。中高一貫の男子校だったんで、独特な男子のノリに耐えられなくて、入って3、4カ月で辞めました。部活にとりあえず入らなきゃいけないっていう空気をつくるの、まじ止めませんかって声を大にして言いたい」
中学のサッカー部は、当たり前かもしれないが、それまでの地元のサッカーチームとは別物だった。この経験は、当時の加賀谷さんに暗い影を落とす。
「小学校の卒業アルバムに『サッカー選手に僕はなります!』って書いてるんですよ。日本代表になるって。サッカーボールの絵まで描いた。その3ヶ月後にサッカー部を辞めるなんて、お前のあの志はどこいったんだよってなりますけど、とにかくそのときはめちゃくちゃしんどくて、この場から逃げなきゃと思ったんです。人生初めての挫折でした」
逃げられてよかった、と話をいま聞くと思う。逃げる力があってよかった、と。そして加賀谷さんは次へ進むことができた。
「兄姉の影響もあったと思うんですけど、音楽は好きでした。家では上ふたりの世代の音楽がけっこう鳴っていたんですね。GLAYとかL’Arc-en-Cielとか。で、なんとなくバンドをやりたいと思いました。友達いないくせに」
中学1年の冬、加賀谷さんはギターを手にする。
「ギターとベースで悩んで、なぜかギターを手にして、アコースティックから始めたほうがエレキもやりやすいと聞いて、それでヤマハのアコースティックギターを買ってもらいました。もう取り憑かれたようになって、学校が終わったらまっすぐ家に帰って、教則本を見て練習。世界が変わったんですね。タイミングがよかったんだと思います。部活を早々に辞めた軟弱者が! って言わずにギターを買ってくれた父にも感謝してます。あんなにはしゃいでた加賀谷少年が、どんどん内に籠もって音楽に没頭する子になっちゃって、両親も心配したと思うんですけど」
そして衝撃の出合いがあった。ニルヴァーナを知るのだ。
「なんだこのバンドは、と。ビジュアルや雰囲気から入っちゃったんですけど、このボーカルめちゃくちゃかっこいいなって。でも、地元のツタヤでベスト盤を借りて聞いてみたら、ぜんぜんよくない。暗いし、ポップじゃないし、いま聞くとかなりポップなんですけど、最初はあんまりピンときませんでした。で、ネットでボーカルのカート・コバーンを調べてみたら、自分と同じくらいのときに彼も友達がいなかった、と。まわりとなじめなくて図書館にこもって本を読んでいたと。これだ、と思いました」
このことをきっかけに、加賀谷さんは再び本を読み始める。音楽をやっている作家の著作としてまず読んだのが『バンド・オブ・ザ・ナイト』(中島らも・講談社文庫)。その後、さまざまな文学賞受賞作を読みあさった。絵本や児童文学とはまた違う、文学のよさみたいなものが、だんだん見えてきたという。
「好きなアーティストを掘り下げていくのが好きなんですが、音楽好きな人が好きな文学ってなんだろう、と調べていくと、行き着いたのは太宰治でした。暗いんだろうなって最初は敬遠していたんですが、ちくま文庫の太宰治全集1巻を読んだら衝撃だったんです。初期の太宰はわりと実験的なものを書いていて、メタフィクションみたいな、この構成はなんなんだと」
なかでも印象的だったのは、『葉』。
「『死のうと思っていた。』から始まるんです。正月に夏の着物をもらったから夏まで生きていよう、と続くんですが、その文章がすごくきれいだなと思いました。なにより、道化を演じることではじめて世界とつながれる。素の自分じゃ生きられないんだなこの人は、というところにシンパシーを感じたんです。文学ってこんな力があるんだなと。時代も生まれたところも違う人と、ページの向こう側で、仲間じゃんって思えるような感覚は初めてでした。時代を超えた、ほんとうに血を吐きながら書いているであろう作家と、今を生きる自分がわかり合えるんだなということに、まず衝撃を受けたんですよね」
文学とロックがあればいい。加賀谷さんの青春は、より濃密な高校時代へと続く。