『レンブラントの帽子』翻訳夜話

2010年6月1日

『レンブラントの帽子』翻訳夜話
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 僕がやった翻訳で、いちばん印象深いものはアップダイクもあるけど、
 濱本さんと小島さんと一緒にマラマッド『レンブラントの帽子』を翻訳したとき。
 とにかく原稿を見ながらしゃべっているとすぐ文学談義になっちゃうわけ。
 (『英語青年』2007年8月号 ―井上謙治氏に聞く―より)
『レンブラントの帽子』は、小島信夫先生、
浜本武雄先生、井上謙治先生による共訳です。
奇しくも、その時、先生方はみな、明治大学で
教鞭をとっていらっしゃいました。
先生方は授業が終わると、膝を突き合わせて、
3人で翻訳をしました。
つまり、この共訳は、誰がどの短編を担当するとか、
誰が手を動かして、誰が監修をするか、
といったものではなく、本当の意味での、
共訳だったわけです。
 小島教授を主任とした、われわれ明治大学工学部英語科教員の集まりを、
 「小島学校」と呼ぶ人もあった。たしかにそれは、学校のなかの学校かも
 しれないが、私にはむしろcolony(精神の共同体)とでも呼びたいような
 嬉しさがある。
 (『小島信夫をめぐる文学の現在』―濱本武雄「コジマ・コロニイ」―より)
その中でも、最年長であり、当時、作家としても
円熟期を迎えていた小島先生が、訳文の、
大きな方向性を示していたようです。
 翻訳の作業中、(小島)先生はしきりに原文に忠実であることを要求され、
 原作者の立場に身をおき、『書く手つき』に思いを致さなければ原作者に
 たいして失礼である、と言われた。そのことはその頃『文藝』に出た
 「表現のたのしみ」という日野啓三氏との対談で、先生も書いていられる。
 「ぼくはそれでもいいけれども、もっとこのまま訳しちゃったほうが
 いいのじゃないかと言った。~略~(マラマッドは)その一行でわかる
 ようになっていない作家なんですよ。それが喜びで書いているのだから、
 解釈を過大にしてしまうと、何のためにこの小説を書いているのか、
 全体から言ってもわからなくなるのではなかろうか」
 (『小島信夫をめぐる文学の現在』―井上謙治「小島先生とアメリカ文学」―より)
短編集『レンブラントの帽子』を読む楽しみは、
文学を読む楽しみ、とほとんど同義です。
それは、文学を考える楽しみ、と言い換えてもいいし、
もっと言えば、人生を考える楽しみ、と言っていいかもしれません。
 かつて彼(マラマッド)は自己の文学について次のように語ったことがある。
 「私は、読者に、考え、考えぬかせて、やがて物語が読者の心の中で展開し、
 ちょうど心の中で花が開くようになるまで、考えさせたいのです」
 (『アメリカ読書ノート』井上謙治―マラマッドを悼む―より)
心の中で花が開く短編です。
ぜひ、何度も、読み返してみて下さい。