文学の旅。
今度刊行する小説の注釈を、せっせと作っています。
その短編は、ソ連時代のめぐまれない作家が、旅行に来ていた
見知らぬアメリカ人に、出版の融通をしてくれ、と頼む話です。
追いかけていっては、何度も、何度も、頼みます。
火中の栗は拾いたくない、というアメリカ人と、
自分のことしか考えていない、切羽詰まった、才能豊かなロシア人。
おもしろいし、哀しいです。
ロシア人は、会話の中で、ロシアのたくさんの作家の名前を、
滔々と、を引用します。
ドストエフスキー、チェーホフ、ソルジェニーツィン。
ここまでは、わかります。
イサーク・バーベリ、マリーナ・ツヴェターエワ、オシップ・マンデリシュターム。
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聞いたことがあるような、ないような、という名前です。
しかし、彼らの名を、図書館の文学辞典で調べると、俄然、読みたくなります。
たとえば、イサーク・バーベリは、要約すると、下記のようになります。
「一八九四 ~ 一九四一。ロシアのユダヤ系作家。
短編の名手であり、多彩な文体で『オデッサ物語』『騎兵隊』などを残した。
スターリンの粛清によって銃殺される」
そして、『騎兵隊』はネット古書店でそんなに高くない値段で、
『オデッサ物語』は新刊(群像社)で、今でも読むことができるのです。
読者というものは、このようにして続いていくのだ、と思います。
その導き人となるのは、必ずしも、現実世界の人間ではないのです。