テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人
人並みに、サッカー観戦が好きです。
好きだからこそ、テレビで試合を観ていると、
ああ! とか、もう! とか声をあげてしまいます。
なぜ決められないんだ。
なぜパスを戻すんだ。
モヤモヤがたまります。
なぜそうなるなのか、どうすればこの局面が変わるのか、
もっと言えば、どのような長期的な視野に立てばチームは
こんなミスを犯さずにすむのか、それらを論理的に理解できれば、
このモヤモヤも幾分かは解消されるのかも知れませんが、
語る言葉を知りません。
そこで、この名著です。
昨日読み終えたばかりなのですが、この本は、目からウロコです。
「サッカーを要素還元主義的に細分化せずに、
サッカーをサッカーのままトレーニングする」
この本の骨子は、これです。
つまり、決定力をあげるとか、パスの精度をあげるとか、
トラップを上手くするとか、一対一の勝負をするようメンタルを鍛えるとか、
そうした、部分的な各論には意味がないんだ、と作者は言っています。
サッカーはサッカーをすることで、つまり、サッカーの試合を数多く経験することで、
初めて上手くなるもので、そこが、いや、そこだけが、日本と海外の大きな差なのだ、と。
作者がコーチとして指導したスペインでは、毎週、なんらかの公式戦があります。
試合を通して、少年たちは、サッカーに必要なテクニック、インテリジェンスを
学びます。
加えて、試合に出られない選手が存在しないよう、大所帯のチームは、
チームをいくつかに細分化し、選手を試合に出させます
しかし、日本ではそうではありません。
年に数回の試合のために、彼らはひたすら練習をしますが、彼らには、
試合に出れるかどうかの保証すらないのです。
試合をする国民が多い国と、試合をする国民が少ない国では、どちらが強いのか。
考えるまでもありません。
「要素還元主義的に細分化せずに、○○を○○のまま」
これは、サッカーだけに当てはまらない、素晴らしい見識です。
たとえば、私は大学時代に、恩師から、小説が上手くなりたいなら、
とにかく1本でも小説を多く書ききることだ、と学びました。
技法や、プロットや、描写力などを、個別に磨いても小説は上手くならない。
小説を書ききることで、初めて、小説とはなにかがわかるのだ、と恩師は言っていたのです。
読書も、たぶん、同じです。
とにかく1冊でも多く本を読むことで、本とは何か、読書とは何かが、
頭だけでなく、身体でも理解できるのだと思います。