テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人

2009年11月9日

テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人
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人並みに、サッカー観戦が好きです。
好きだからこそ、テレビで試合を観ていると、
ああ! とか、もう! とか声をあげてしまいます。
なぜ決められないんだ。
なぜパスを戻すんだ。
モヤモヤがたまります。
なぜそうなるなのか、どうすればこの局面が変わるのか、
もっと言えば、どのような長期的な視野に立てばチームは
こんなミスを犯さずにすむのか、それらを論理的に理解できれば、
このモヤモヤも幾分かは解消されるのかも知れませんが、
語る言葉を知りません。
そこで、この名著です。
昨日読み終えたばかりなのですが、この本は、目からウロコです。
「サッカーを要素還元主義的に細分化せずに、
 サッカーをサッカーのままトレーニングする」
この本の骨子は、これです。
つまり、決定力をあげるとか、パスの精度をあげるとか、
トラップを上手くするとか、一対一の勝負をするようメンタルを鍛えるとか、
そうした、部分的な各論には意味がないんだ、と作者は言っています。
サッカーはサッカーをすることで、つまり、サッカーの試合を数多く経験することで、
初めて上手くなるもので、そこが、いや、そこだけが、日本と海外の大きな差なのだ、と。
作者がコーチとして指導したスペインでは、毎週、なんらかの公式戦があります。
試合を通して、少年たちは、サッカーに必要なテクニック、インテリジェンスを
学びます。
加えて、試合に出られない選手が存在しないよう、大所帯のチームは、
チームをいくつかに細分化し、選手を試合に出させます
しかし、日本ではそうではありません。
年に数回の試合のために、彼らはひたすら練習をしますが、彼らには、
試合に出れるかどうかの保証すらないのです。
試合をする国民が多い国と、試合をする国民が少ない国では、どちらが強いのか。
考えるまでもありません。
「要素還元主義的に細分化せずに、○○を○○のまま」
これは、サッカーだけに当てはまらない、素晴らしい見識です。
たとえば、私は大学時代に、恩師から、小説が上手くなりたいなら、
とにかく1本でも小説を多く書ききることだ、と学びました。
技法や、プロットや、描写力などを、個別に磨いても小説は上手くならない。
小説を書ききることで、初めて、小説とはなにかがわかるのだ、と恩師は言っていたのです。
読書も、たぶん、同じです。
とにかく1冊でも多く本を読むことで、本とは何か、読書とは何かが、
頭だけでなく、身体でも理解できるのだと思います。