
加賀谷敦さんの就職活動は、2013年、大学3年の冬からスタートした。
「心を滅してました。その時から着る服は、ほぼ毎日真っ黒なリクルートスーツでしたね。髪もばっさり切って。会社説明会ではできるだけ前に座って大きめに頷いたり、なるべく質問をしたりして人事の人に顔を覚えてもらうとか、いろいろ都市伝説なのではないかと思うことも見聞きしましたが、そういうことも含めて全て茶番だ!って思いながら、一応就職活動はやってました。文芸の編集をやりたかったんですけど、出版はことごとく落ちました」
当時、大学3年の12月が就職活動の解禁だったが、夏ごろからインターンに行く学生もいたという。
「焦るんですよね。大学は就職のための予備校じゃない、生きていく上での基礎となる教養を得たり、土台になる考え方を学んだりしにいくところだっていう思いは強かったし、今でもそう思っていますが、やっぱり就活してると、インターンに行った人たちがどんどん決まっていくのは焦る。はじめは出版に絞っていたんですけど、途中からものをつくることに興味があると感じてメーカーを見始めました。で、出版とものづくりの方向で、印刷や包装を目指し、最終的にひろってもらったのが印刷会社でした」
2014年春、卒業の1年前には印刷会社に就職が決まった。4年生になり、残る単位は卒論だけで、ゆとりある1年間を過ごす。
翌春、入社して働き始めたのは総合印刷会社で、出版、日用品、広告などいろいろな部門に分かれていた。加賀谷さんは出版部門に希望を出し、実用書や趣味雑誌を扱う課に配属される。
「仕事内容は、出版社などの取引先から、つくる本のデータをもらって現場に流しつつ、仕様書をつくり、色味をどうするかなどを相手からヒアリングして、それをまた現場に伝える、といったものでした。新規の営業ではなくて、現状のお客さんとの関係を良くしていく仕事です」
上に付いてくれた先輩からは、印刷に関することの基礎やお金の倫理観を教わった。厳しい人だったが、プライベートでは音楽や本の話もできたし、今でも基本としている仕事への向き合い方や距離感を教えてくれたことが、何よりもありがたかった。
「とにかく納期が厳しいんです。あらゆる場面で突然の依頼が差し込まれてくる。そこまではどの仕事でもありえると思うんですが、現実的ではない日数の要望だったり、請ける時間帯だったりということがほぼ常で。当然、即時対応をしなければならない。けど、現場の方にはまず断られることがほとんどでしたし、お願いしている私自身、正直厳しいよなあと感じることも少なくなかったです。でも営業としてはお客さんの意向もくまなきゃいけない。その板挟みが段々と重なるにつれて、この状況をうまくこなせないことにずっと悩んでいました。先輩は仕事ができる方でしたし、色んな方にも信頼されていたので、真似しようと思ってもどうにも……。週末に出勤したり、寝ている時間に社用携帯が鳴って対応したりすることもありました」
一方には急げと言われ、一方には無理と言われる。そのくり返しだった。
2年目に入ると、体調がおかしくなってくる。
「自分のやり方やキャパシティの問題ということも承知していましたが、やっぱりだめだったようで、ゴールデンウィークを迎えるころには心身に変調をきたしていました。相変わらずずっと携帯は鳴るし、会社行きたくない、行けない行けない行けないって思いつめて、気づいたら朝になっていたり、家にいても帰りたいとか意味不明なこと言い出したり、連休がまったく連休じゃなくて悔しかったのを、すごく覚えてます」
ゴールデンウィークをはさんだ数ヶ月は、あまり記憶がない。
「担当も増えて、自分では要領を得てきたかなとようやく思えてきたころだったんです。でも精神的な体力が追いつかなくなってきて、物忘れが多くなったり、いままでできていたことが突然わからなくなったりということも突然増えてきて。もう完全にだめだってなって辞めたのが、2016年8月です」
会社を辞めた次の日のことは忘れないという。
「ひたすら寝てました。これは覚えてます。眠れるだけ寝ました。思えば働いていたときはあまり眠れていなかったし、けっこうぎりぎりなところだったんだなと。先のことを考えずにただ身体を休めようと思って、1〜2カ月くらいはずっと引きこもっていました」
身体と精神が徹底的に破壊し尽くされる前に、休息する時間と場所があってほんとうによかったと思う。だが、吹っ切れたわけではなかった。
「あの仕事を、そつなくこなしたり、歯を食いしばってやっていた人もやっぱりいたわけです。しばらくすると今度は、そうした彼ら彼女らと、自分は何が違うんだろうと思い悩みました」
家に引きこもっているうちに夏が終わり、かつて思い描いていた大学院に行く夢がよみがえってきていた。フランス語の練習などを始めてみたが、ある日突然、旅に出なきゃと思った。これまでやってこなかったことをやろう、と。
2016年10月、加賀谷さんは東京から西へ向かって出発した。